もう20日ばかり非常に不快な頭痛に見舞われていて、不快なままにGWは過ぎ去った。
・過去というものが不快であるということはどういうことかって、まるでオセロのように、過去一列が白だったものがたった一手ですべて黒に染められてしまう。そういうものに関わっているものが何かと言えば大体常に過去に起因している。しかし不快であろうとそうでなかろうと、過去は過去でしかなく事実でしかない、あるいはそれはいい思い出であるとプラスに割り切れているものにとって、それが黒だろうと白であろうと別に大した意味などないに違いない。そこまでゆるぎないもので何ものも挟む余地すらないのだとすれば。それがもしも揺らぐのだとすればそれはその程度のものでしかないと自ら自白しているに等しいわけだし、そもそもそうやってやれ白だ黒だと騒ぎ立てなければならないものが過去だとすれば、現在と未来を補完し支える程度の役割しかないはずの過去がしゃしゃり出てきて主張するというのは一体どういうことなのだろう。
だとすれば結論はこういうことになる。過去なんてせいぜい今を支える程度の力しかないものが主役のように出てくるのであればそれは配置がおかしい、それに思い至ってない、考えが行き届いてないということになるわけだし、あるいはその存在感の優劣が、認識がミスっているわけだし、あるいはそれが足を引っ張ろうなどとするようであれば、過去というものはせいぜい足を引っ張るだけのものでしかないときっぱり割り切って生きた方がよほど生産的であると。
・昔見つけて胸躍らせたような輝きを放つ物体が、実は金じゃなくて雲母だったと知らされたように。それは別に雲母が悪いわけじゃなく、まして詐欺だったというわけでもない。騙された!あるいはなんて世界は色褪せて見えるものなのかとそこで愕然とするわけだけど、でもそれは雲母が悪いわけではない。
ただオレがちょっとだけ進歩しただけだ、と思いたい。
この記事へのコメント
ココ
本当にそうなんですよね。
今の気持ち次第で、白になったり黒になったりです。
しばらくブログサークル休みますが、読みにきますねー^ ^
私もまた伺いますよ。というかコメントっていいですね。私も見習わなければと思います。