先日の話






 先日所用で出雲大社に行くことがあったのだが、驚いたことにバリアフリー完備になっていたという。
 これにはけっこうな衝撃を受けた。


 ・前回行ったのはもう5年以上前になるだろうか、婆さんと行って、あまりに参道が長くて婆さんが体力が切れて息切れしてしまって、命の危機を感じるような始末だった。
 おいおいおい、さすがにこりゃあまずいだろう、このままじゃあ神様に詣でて仏になっちまうぞということで急遽引き返すことを決定し、しかし出雲大社目前なんだよなあということで、婆さんもせっかく来たのに目前で引き返すということで無念の表情、まあこちらとしては出雲大社に参って本望で倒れられてもいかないわけだから引き返すことにしたのだが、そうなるとますます足手まといな印象で婆さんは大変にすまなそうな表情をしていた。
 なんかそれが妙に印象的というか見ていて気の毒で、出雲大社バリアフリー化すべしの話をどっかで書きなぐった記憶があるのだが(笑)なんか元気なやつだけが通えるような神にろくな神なぞいないとか書いた気がする(笑)


 ・まあそんなこんなで2021年くらい、だからコロナ禍の折にバリアフリー化でもすっかということで工事が進められていたんだとか。

  出雲大社バリアフリーマップ
 なんでも大社高校の生徒さんたちが率先して働きかけしていたらしいとかどっかで見かけた。


 ・なんか当時そんなことを思ったなあ、ということがどこまで影響があったかは不明だが、少なくとも出雲大社は大きく変わっていた。95の婆さんが歩いて息切れするような施設だったのが、100の婆さんでも歩き回っても大丈夫なようになっていた。まあ前回杖だったので、今回は手押し車でも歩けるように万全の準備していったというのもある。万が一があり得るので。


 思いは通じると言うと大げさではあるのだが、その当時思ったことがこのような形になるということがけっこうな衝撃だった。同じ思いを感じていた人は多かったのかもしれないし、あるいは書き込みは全く無意味でもっと別なところから起こった何かがあったのかもしれない。それはわからないが、少なくとも5年越しで婆さんは出雲大社に参った。参ることができた。自分でも忘れていたが、心のどこかで地味に引っかかっていたものがあって、そうしたもやもや、心に張り付いていたガムがなんとなく消えたような、心が妙に晴れたような感触があった。心が軽くなったような気がしたというか、ああ、そうだった、すっかり忘れてた、オレにはやり残していたことがあったんだわと。それがこうして今消えたんだなあ、ってことに妙な安堵感があった。
 これは参る当初には全く思ってもみなかったことだった。


 そういうわけで本殿のみを拝んで満足の様子だったので、そのまま帰ることにした。



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