結果的にカツ丼事件によって蒙った侵害額はなんと1700万を越えたという。
実害は200万程度だったけど。まあこれくらいの損害を受けても生きているんだから、まあ人生というのはどうにかこうにか成り立っているものであることよ(詠嘆)。
しかしまあなんの意味もないところによくもまあこれだけの金が消えたものだと驚くほど。オレも計算しながらちょっとだけ唖然としてしまった。頭を抱えました。まあ今生きているだけ丸儲け……ってやつですかね。時々無性に人生悲観することがあったのだが、あれ感傷的になっているのだろうかと思ったが計算してみてはっきりした。こりゃーまあ人生悲観もしますわ。げろげろ。
・じゃあ損害が1000万を越えたとして何かそこに意味はあるか、次につながるものはあるかといえば大した意味など全然ない。むしろ、愉快犯かつ無敵の人にとっては、自分のやらかした花火がでかければでかいだけ嬉しいに違いない。なんてこったじゃない、とんでもないどえらいことをしちまった、えらいこっちゃ♪に変換されるのだと。こっちはあーヤバいわーと言っているのだが、向こうにとってもあーヤバいねー(嬉しい)になってしまう以上は、1000万であっても2000万であっても、一億であってもここに何か差はあるのだろうか?
むしろどでかい花火を打ち上げてしまったことが誇らしいことではあっても悲しむべき理由はそこにはない。いつぞやの大阪のビル放火もだが、一人殺すよりは二人だし、二人よりは三人、十人。被害の大きさは悲しむべきことではなく嬉しいことであるし、誇らしいことでもあるし、胸を張っていいことでもあると。ならばガソリンでもなんでもガンガン撒いてやろうぜということであって、そういう「翻訳」作業がここには必要になってくる。無敵の人の思考を考えるならば、オレも無敵の人になり切って考えるならば、これは単純に誇らしい、なんなら大成功であるということでしかない。
男たるもの100人くらい道連れにして死ぬべしといったところだろうか。
・で、こうなると1700万なんて馬鹿げた話で、それを易々と支払ってくれるならそもそも無敵の人になってはいない。
じゃあこのことをどう考えていけばいいのかなと考えた。
その人だって昔を知っているが、決してこの人は根っからの悪い人ではなかった。優しさもあり、生真面目でもあり、ちょっと変わってはいるがしかし根は腐ってはいなかった。
しかしそれがこうして今無敵の人になっている。オレを殺せばドミノ状にたくさんの人に迷惑がかかる、それは喜ばしいことではあっても悲しむ理由はないのだ。1700万の損害を与えればオレだけじゃなく複数人、それこそオレの家族全員消滅させて殺すことは可能だったろうし、それを望んでいたのは確かだ。そういう明確な殺意はあったのだが、これは残念ながら摘発されるような部分がどこにもない。
そして万が一逮捕されるような部分があったとしても、そもそも無敵の人が逮捕されたからって何か痛手になるようなことってあるものだろうか?
・そこでオレは考えた。
この人が変わったのはいつからかと言えば、その根は20年前に遡る。恋愛で受けたものすごい痛手がこの人を少しずつ変えていったのだとオレはふと思い出した。なんか最後は相手が結婚して妊娠してたとかで相当量の絶望があったようだが。その結果の紆余曲折で、「なんで俺だけがこうして腐ったまま死ななけりゃならないんだ、お前らも死ね」という風に少しずつ変わっていった。殉死を望んだし、なんならオレを真っ先に殺そうとしていたのも確か。
そしてその手痛い恋愛の結果、黙って見守り死ぬという境地に達したのも確かではある。しかしそれは我慢の裏返しに過ぎない。もっと20年前にきっちりと話を丸めてくれさえすれば、今になってこうして無敵の人を抱える羽目になったりはしなかった。オレはこんな損害を抱える羽目になることはなかった。単なる詰めの甘さがこっちに飛び火してきたというわけだ。
その原因の50%は当然この無敵の人に起因する。しかし残りの50%はじゃあどこにあるのだろうかと。
そしてそこのところを徹底的に叩かなければこの問題は真の意味では解決しないということを思った。
つまり、このままオレ(とその家族一同)が死ぬ=解決、もしくは無敵の人が死ぬ=解決、もしくはその相手が死ぬ=解決という実質的な三者の問題になっているし、このままだと座してこっちがひたすらに全滅を待つだけなので、先手を打たねばならないし、そういう意味での生きる希望を頓挫させることによってのみようやくオレは助かるなと。そういう境地になりつつあると思っているところ。
単純な誰が生きるか死ぬかという算数で考えるならば、もっと話は簡単だった。しかし愉快犯のこの「愉快」ということを計算に入れると全然算数は成り立たない。算数なんて何の意味も持たない。「5人死ぬ=5人死ぬ」なんて単純なものじゃない。命は等価ではあり得ない。愉快犯のたくさん損害を与えたという誇りのためにこっちがダシとして使われたのであれば、それ相応の係数をもって計算するのは至極当然の話だと思えるのだ。
一人だけ天国に行きました。めでたしめでたしなんて話で締めくくろうったってそうはいかねえぞという感満載である。
そういうわけで、いっそオレも無敵の人になってみたら案外それっぽい拮抗したいい戦いになるのかもしれないなあという話ですね。
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