最近差別関連の記事を見ていて思ったのは、もはや「差別」という言葉に大した意味はないし、ましてそれを言い換えた「区別」にも大した意味はないなということ。なんてことを書くと「なんてことを言うんだ!そんなことやって差別が復活したらどうするんだ!責任とれるのか!」みたいな話になりかねないのだが、まず言いたいことはあれは社会的差別とでも言うようなもののことであって、それは悲惨な歴史を生んできたろうし、出自や出身地による無用な差別なんてのはそりゃ防がないといけないと思うし、それに反対はしないってこと。
ただ言いたいことは差別という言葉自体に差別→即ダメなもの扱いされるっていう反射、これに関して違和感があるというか、ある意味ではそういうものが望まれてきた節があるなという気配を感じる。
例えば「戦争」とくれば日本人なら「反対」が当然である。しかしウクライナの戦争に関して言えば、明らかにこれが現実と暗記事項との間に齟齬をきたしている。ロシアがウクライナを侵略し統合している。戦争反対がやっていることは、戦争やめろ=実質的にウクライナは抵抗をやめろと。そうすれば戦争はしないでよくなる。支配や侵略はあるかもしれないが、戦争は反対すべきものだから抵抗もすべきではないと。当事者にとってはたまったものではないのだが、しかし戦争とくれば反対という人たちにはそれが通じていないと。だから戦争反対派の意見がロシアにとって都合のいい面があり、戦争反対という100点満点の答えがもたらす最悪の結果を結果を考えるとぞっとするものがある。
しかしなぜこうなるのか?戦争反対は解答として100点満点であり、100点満点である以上はそれ以上考える必要がないからだ。考える習慣がない以上、この戦争反対の言論が何をもたらすのかの答えが見通せない。すると自らの善意を相手に押し付ける結果になってしまう。そしてこういう現象は恐らく日本の文化の中に多々見出されるものに違いない。
・ということで差別という言葉だが、この言葉日本では非常に忌み嫌われるもののうちの一つではあるだろうが、しかし最近気づいたのは「差別ではない、これは区別だ!」という言葉が意味するものは実質的に差別であるのだが、差別という言葉を出すと反射的に忌み嫌われるので、そうならないためにただ区別という言葉が代わりに出されているに過ぎないということだ。区別であれば人々は反対しない。なぜならこれは区別であって差別ではないから。
しかしこうした操作に大した意味はないし、ましてこの操作によって差別問題が解決されるとなったらとんでもない話だと思うのだ。
・ということでツイッターではちょくちょく関心があって書いているが、かつては女性差別は公然とあった。当然結婚して早期に退職するし、そうなると今後が望めないから給料は下げる、お茶くみ。そういう文化はたしかにあったらしい。それを40年ほど前に先人が差別だ!男女雇用機会均等だ!となった。それに合わせて育休産休も充実していった。
ところが育休産休の制度を使うだけ使い倒して転職ということがあると。こうなると会社としては大損、何一ついいことがない、となるとそもそも女性の雇用をやめようという話になると。企業としては利益を追い求めるから至極当然、女性を雇っても何もいいことがないとなる。つまりは何かって、実質的差別とでもいうものが再生産されていると。
こりゃ大変だ、みんな声を上げるかと思いきや意外とそうならない。というか至極当然の帰結という感じで受け入れられている。つまりこの現象は何なのか?と思った時に思ったのが、これはあくまでも実質的には差別かもしれないが、表面上は男女「区別」の問題でしかない。そして企業としては当然の帰結でもある。みんな納得している。そして表面上誰も差別という言葉は使っていないということ。この事態というのが非常に恐ろしいなと思える。
・しかし考えようによってはこういうことは多いのかもしれない。例えば敵が先制攻撃してきそうならこっちから先手を打って攻撃してもよい。それも一応戦争反対だからだし、そういう手段が増えている以上、敵もおいそれと攻撃してはこれない。ある意味ではその「反射装置」にさえ触れなければ何をしてもよい、そういう装置というものが要所要所に配置されており、我々はやれ暗記教育だ詰め込みだゆとりだといろいろ議論されてはきたが、何が問題って考える力そのものはすべて排除するように仕向けられてきたんじゃなかろうか。逆鱗に触れるものは一部あるんだが、それにさえ触れられなければ何も問題ないと思わされてきたんじゃないだろうか。あるいはそうでありすぎて、ミサイルをこっちから打つという事態でさえも「あれ?これは防衛なんだよな?攻撃にしか見えないが……まあいいか」みたいな迷いを生むようにもっていかされているのではないだろうかと。
そんなこんなで、まあなんか最近これは??と思うようなことが多い気がする。
考えすぎか。
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