勝つか負けるかの話






 先日来の話、負けないための戦いをすれば自ずと勝ちになるというのと、勝つための戦いをしなければそれは自ずと負けに繋がるということの続き。


 ・多分言おうとしていることの基本というのはどちらも基本的には外していない感じだし、そもそも言いたいことはかなり近い。負けなければ勝ちになるだろうし、本気で勝とうとすればそれは負けないということに繋がる。つまりこれは言ってみれば車の両輪のどちらが優れているかを議論するのにかなり近い。
 とはいえ、恐らくこの二つの考えでの先にある結果というのは恐らく全然違ったものになる。


 ・負けないってことは落とし穴にはまらないということに繋がる。いかに自分が落ちかねない穴を率先して探すか。いかにそれを落ちる前に見出せるか。だからこそ負けないということに繋がる。一方で勝つための戦いというのはそこにある木を探すのに似ている。どの木が最も高い木であるのかを探して回ると。
 しかしこれには盲点があって、人は例えば車で曲がらなければならない曲がらなければならないとあまりにも思いすぎるがゆえに曲がれないということが起きたりする。負けないということは負けるかもしれないという恐怖心や不安感を抱えることに繋がる。勝つということは高い木を探すがゆえに当然見つけられるはずの落とし穴にハマることに繋がる可能性もある。そういう特徴はある。とはいえ、最終的に何を目標としているか、どこに視点を向けているかということがもたらす結果の差というのは決して小さくない。心底勝とうと思っているのであれば、安っぽい落とし穴にハマることはそうそう考えにくいし(そこでハマっていてはそもそも勝ちようがない)、負けないためにやろうと思えば勝つための方向性に関してはどうしてもおろそかになる傾向はある。


 ・今自分のいる地点を0だとして、-2の落とし穴にハマるのか、それとも+2の高い木になっている木の実をつかみ取れるのか。最終的に目指すのは当然後者であるべきだが、それをつかみ取れる一瞬みたいなものがあって、つまりはそれはチャンスというものになるわけだがその一瞬の輝きを見失わない力というのは意識して磨いていないとなかなかつかみ取れるものではない。これは前者についても同様で、-10くらいの最悪の落とし穴を見出す一瞬をもしも見出せなければ当然落ちて死ぬ。そういう意味で、何をどのくらい見出すのか、見出せるのか、というより見出したいのか。そういう意味でどうしても勝つための方向性を意識しなければならない。そういう感覚を研ぎ澄ますための方向性というものを持つためのハングリー精神のようなものがどうしてもいるのではと思っているところ。





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