料理する力2








 Ipanema Rain/カルロストシキ
 この動画面白いと思うのは、もっと盛り上がろうと思うのであればもっといい曲あるだろと思えるのだが、よりによってしっとり系というか超悲しい系の曲で踊って盛り上がろうというのがおいおいなんでそうなるんだよと(笑)いい曲だからやらざるを得ないというのはあるにしろ、多分ライブの進み具合であまりにもしっとりしすぎると進行に支障が出てくるってのもあるんだろうなあと以前は思っていたが。
 最近思ったのは、ものすごく悲しいことであってもノリと勢いで踊って楽しくやり過ごそうぜという一種の生活の知恵(?)みたいなものもあるのかなあということで。そういう風にいろいろ考えていると曲への理解が深まるというか、そういう生き方もあるのかと感心させられる。だとすればそれはそれでおもしろいいい文化だなと思った。苦しいこと悲しいことも一過性のにわか雨みたいなものってことですかね。



  昨日書いた内容というのは、知識というものがどのように使われるか、どのように用いられているかの分析だった。今日の内容はその続きではあるが、別に内容を深めていこうとするようなものではない。
 例えば英語の教育。海外から日本へ留学してきた人が、流ちょうな英語を話せるのにかえって「日本語英語」とサムライアクセントを身に付けて帰っていくという不可思議な現象は知られていた。英語教育が本当は日本人を英語が使いこなせる人材にする目的だったはずが、よりによってその現地で生活してきた人がサムライアクセントの方に順応することになる。というのはいかにも奇妙である。しかしこれも教育ということの目的が、教育のはんこ化であると考えると納得がいく。英語を使える人材になるならない以上に、その時点で求められているのははんこに染まることであると。押されたはんこそのままに今はいい点を取って、流ちょうな本場の英語話者から学ぶというのは二の次三の次であると。そうやって先送りしているうちに、とうとう本場の英語を学ぶいい機会が二度と訪れないというのがまあ定番である。そしてTOEICなんかでまた本場の英語を一から学ぶことになり、そうなるのだがこれはもう独学なのでとてつもない苦労を強いられることになる。最初からやっておけば、スピーキングとリスニングで苦労させられることはなかったろうに、本当に必要になった時には沁みついて抜けきらないサムライアクセントから抜け出すことに苦労させられることになる。
 これについては以前も書いたかもしれないが、今円安で海外へと渡る日本人が増えているということだが、その最も大きな障害が英語であるとなると海外へ出る際に大きなハードルとなる。海外なら今や50万~70万/月は当たり前であっても、日本内であれば最低自給、それもベトナム研修生で示されたように日本内には時給100円から200円の世界もあるわけだから、月収はとんでもなく低いことになる。しかし出ることができないのであれば、これは英語教育の本来の目的というものが十分に果たされていると考えられるのではないだろうか。


 ・話を戻すと、レシピ通りに料理を作るということは必要になってくる。しかしその次の段階というのは必ずある。その段階をじゃあいつ持ってくるか。オレみたいなのは先送りしているうちにとうとう機を逃してしまったが、若者には同じ轍を踏まぬように頑張れと言っておきたい気がする。



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