料理する力






 全く関連のなさそうなものだが、この二つの関連性っていうのは意外とバカにならないのではとふと思いついたので書いてみることにする。


 ・けっこう個人的に料理のレシピをyoutubeで見ていて、結構驚かされることが多々ある。例えば今日驚いたのはオオバコ、あれを使うとわらび餅ができるというのがあって、これとんでもないなと。こういう野草とか何の変哲もないというか、はっきり言って「雑草」みたいなものが実はというのを知るのが非常におもしろいなと。最近のマイブームかもしれない。
 ほかにもyoutubeには例えばチャーハン一つとっても山ほどあったりするわけだが、じゃあこの中から最強の一品を決めるとすれば?というのを自分の手で確かめることができる、というのも楽しい。事実上の最強決定戦を自分の手で再現できるのがもうこれとんでもないなと。ほかにも、いやーここはこうしたほうがいいんじゃね?というのを自分でアレンジしてみる(あくまで自分で試した後にの話である。ここは重要)というのもいい。今まで出ているレシピを素人の自分がこの方がいいと口を出せるようになる、というか一石を投じることができるようになるというのもまた楽しい。
 そんなこんなで、こういうのを一つ一つ試してチェックしていくのがおもしろいという意味ではこの分野は向いているなと思っている。料理が向いているというわけではないぞ。


 ・ということでここから歴史に入るのだが、例えば「孫子」がある。孫子は秦代末期には当時の戦国武将にとっての常識になっていたという話は時々書いているのだが、つまりは定石ありきということにある。韓信という人は水攻めを多用しているが、孫子の中では水攻めは決して勧められたものではないという立ち位置になっている。まず土木作業が必要になるとなれば、当然人員も動かさねばならず予算も必要になる。しかも状況の推移によってはムダな工事、ムダな手になることもあるだろう。そうなるともう決していい手とは呼べない。大掛かりになると敵に気取られやすいというのもあるだろう。そういう合理性の下に水攻めは孫子の定石から外れたわけだが、ところが韓信は水攻めを多用している。これが意味するところは恐らく、相手が当然のごとく孫子を知っているということは水攻めはしてこないものだと決めつけてかかってくるはずだと裏をかいているものだと考えられる。
 ではこの韓信に敗れた将と韓信の差を決定づけるものは何か。何がこの差を決定づけたのか。何が明暗を分けたのかといえば、韓信にあるのは料理する力なのではないかということである。何を料理するか。敵であり、自軍であり、状況であり、兵法そのものであるといえる。少なくとも韓信に対峙した敵将は孫子は丸暗記していたかもしれないが、つまりその時点では韓信と同列だと言っていいだろうが、しかし料理する力には長けていなかった。従って、水攻めを堂々と仕掛けてきた韓信になすすべもなく敗れることになる。


 ・韓信はそうして孫子を料理したといえるわけだけど、じゃあこれはいったい何を意味するか。知識としてみれば、暗記事項を頭に入れる意味では敵将と何も変わらなかった。韓信はただその中で水攻めをしようと思ってみただけのことである。そうしたところが、ものすごく効いた。この時点で、この事態を生きた知識と死んだ知識の差と呼ぶならば恐らくそれは正しい。しかしそれをもっと詰めるとすれば。そもそも生きた知識と死んだ知識の差とは何か。それは恐らく、孫子というものを頭に入れたことにどれだけ満足したかということになるのではないか。あの孫子を丸暗記できた。それはものすごく喜ばしいことかもしれない、当時としては100点満点を貰えるようなことだったかもしれない。つまりここがその時点でゴール地点になってしまった。
 しかし韓信にとってはそれはゴールではなくスタート地点を意味した。ゴールすること自体にさほどの興味や喜び、満足を得ることはなかった。その代わり、スタートして得たものをさらに深めていくことには喜びを感じていたのではないか。つまり、料理とはなにかといった際にあるもの、それにまつわる概念というのはおそらくゴールではなくこれはスタートであるということでありその姿勢なのではないか。料理としては100点満点なんだけど、でももっとよりよくできないかという思索を深める過程こそが料理ということの本質ではないかということである。


 ・その意味では知識との関わり合いというのは非常に難しくて、知識を頭に入れたということが一体何を意味するかってその知識を当てはめることに使うようになることが多々見受けられる。つまり知識という正解を事態に当てはめることこそが知識の用いられ方であり、正しいよう法であると。つまりは知識のはんこ化現象だといえる。この立場に立つと韓信の水攻めは不正解となるわけだ。戦には敗れたんだけど、でもあんたの兵法は不正解だよ、0点、オレはそれを言えるってことは100点だとこういう優越感は保つことができる。つまり知識の用いられ方であり目的はこの立場に立つとはんこ化と優越感のためだけということになる。
 だからそういう立場の人にとっては、料理ということは案外役に立つんじゃないかと思うし、ふと気づけば自分にそういう見方が備わっていたのは料理によるところが大きいのだろうなあと思った。





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