最近三国志を見ている関係でいろいろと三国志について考えることが増えた。
・陳宮という人はけっこう不思議な人で、3人の大人物にほぼ間違いなく会っている。
曹操と劉備と呂布である。
で、そうなるといろいろ違和感のあることも多々出てくる。
・陳宮は曹操と一緒に逃げている時に
「オレは天下を裏切っても、天下がオレを裏切ることは許さん」
と言って、これはもうなんという人物だと失望したと。
「これはもう常識の枠には収まらない大人物になるぞ」と思えたならつまり破天荒な人物を選んだとなりもしようが、董卓暗殺に失敗している時点で曹操はただものじゃないと思っていそうなものなのに、そう思うのではなく「こいつはとんでもない人物だから」ということで曹操を見限っている。
つまり、曹操は破天荒な人ではあるんだけど、その底には人間味があるかと思いきや全くそんなものはないと。そこが陳宮を見限らせた点だといえる。
・じゃあ劉備の時はどうか。
徐州にやってきて陳宮は恐らくここで確かに劉備に会っている。その時の主君は呂布で、じゃあこの敗残の将となり落ちぶれている我らを救うだろうかと思っていたら、劉備は自分たちを喜んで迎え入れたわけだ。それは計算もあって、劉備が呂布と組んだらそうそう敵はいなくなるということでもあるわけだが、しかし世間の目はあるわけだ。曹操を敵にして戦った呂布を受け入れるということは、曹操を敵に回す表明をしたに等しい。そうなると曹操を敵に回したくない諸侯はそんなことはしたくない。そうなれば受け入れた劉備はなんという人物かと感銘を受け心打たれそうなものだけど、そういった描写はない。
つまりこれはどういうことかと考えると。
・おそらく陳宮は呂布と組んだことで、
「呂布には武勇はあるが知恵がない。私には武勇はないが知恵はある。ということはこの二人で最強タッグが組めるのでは……」ということを恐らく考えている。そしてそれは曹操や劉備に使えること以上に、陳宮という人物を狂わせる材料だったのではないか。野心でいくのでは人情味がない。かといって義理堅さ一本でいくには頼りない。しかし武勇と知恵が備われば、これは天下に比類するものなしであると。陳宮はそれを考え、恐らくその概念の心地よさにひかれた。
呂布という最強の馬を、手綱によってうまく操るのはこのオレだと。これによって実質的に天下を手に入れたに等しいと考えた陳宮は、呂布+陳宮で曹操以上、劉備以上と考えたに違いない。
・ところが呂布は曹操に敗れた。
なぜ敗れたか。呂布は陳宮の進言を受け入れられるほど頭がよくはなかった。それがいくら金言であっても、その言葉の意味がわからない人間にとっては大した価値を持たない。陳宮は呂布を使う気でいたが、呂布の方はその価値がわからないほど頭がよくはなかった。陳宮の中では「武勇と智謀の合一」という素晴らしい図があったわけだが、呂布の方では「やかましいおっさん」でしかない。まして、理論建ててこざかしい進言を繰り返すことはますます癇に障ったことだろう。つまり、理論としての素晴らしい体系と現実のこざかしいおっさんとがあまりにも一致しなかったことになる。
・劉備の留守に呂布が徐州を奪うということがあるわけだが、これも陳宮がもしも主導権を持ってやっていたとするとおかしなことになる。曹操には「あいつは人でなしだ」と見限ったにも拘わらず、自分は迎え入れてくれた劉備が留守の間に「これは好機ですぞ」と呂布をそそのかして徐州を奪うなんてことをしたとすれば、あれだけ悪しざまに罵った曹操以下じゃないかということになる。しかもそれを呂布に献策しているとなると、その状況を好機だとみなしているわけであって、曹操は呂布と劉備が組んでいるから襲ってこないのだということを全然把握できていないことになる。これではどこが知恵者だと言わざるを得ない。
そうなると呂布の独断専行によって徐州を奪う結果となったと考えるのが妥当だろう。しかしこうなってみると、もはやこの時点で陳宮は呂布の手綱を握れていない、そこまでの力量がないということが判明するし、また恩義を仇で返したということで、ここで曹操と同様に呂布を見限ってもよさそうなものである。しかし陳宮はそうはしていない。こうなると陳宮が一体何を考えていたのかがよくわからないが、呂布と自分とで「武勇と智謀の合一(そして最終的に主導権を握るのはオレだという野望)」ということをまだ考えていた、囚われていた、いや目がくらんでいたと考えられるのではないか。
・結局陳宮は最期まで呂布と行動を共にして処刑される。
しかし恩義を仇で返した呂布という男と共に処刑されること、そして同様にかつて最低な男だと罵倒した曹操の手によって処刑されること、そして最終的に徐州乗っ取りの片割れであり、首謀者の一人となって、恩義のあるはずの劉備を敵に回していることを考えると、どうもこの人の一貫性のなさと主義主張のあやふやさが浮き彫りになるように思えて仕方がない。確かに知恵者ではあるとはいえると思う。しかし同時代の賈詡(かく)の生き方のうまさ、昔の陳平の生き方のうまさに比べると、どうしてもこの人は生き方があまりにもヘタクソなように見えて仕方がない。
自らを知恵者であると自負するならば、自らを高く買ってくれる曹操のところにいるべきだった。義を貫くのであれば劉備のところへ行くべきだった。それがなぜ自分を高く評価もしない、むしろ煙たがる呂布の片腕となって、自らも同じ穴のムジナとなって一生を終えることを選んだのか。それを考えると、正しい時にこそ修正してしまう、そして明らかにミスっている選択肢のときほど修正できない人という生き物の悲しさみたいなものが透けて見えてくるような気がして仕方がない。つまりは何かって、知恵者を標榜するなら自らの身の処し方にもそれなりの知恵を用いなさいよということになると思うのだが。
とかいう人生の悲哀を陳宮という男から感じて仕方がなかったというお話です。
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