自分でこんなんありますよと言っといてなんなんだが、なぜ脇腹筋トレに最も効果的なのが天井を押すということになるのかが自分でもよくわからなかった。それっぽいことは山ほどやってきたのに、なぜこんな天井を押すとかいうでたらめな運動が最も脇腹に効くのか。ということで今日考えていたので以下考察をしていきたい。
①そもそも人の祖先はもともとお猿さんだった
ということは木に掴まって別の枝へと移動するということはもともとやっていたことなのだ。つまり、原始に立ち返るならばこれというのが最も正統の動作であり、肘打ちだとか蹴りなんていうのはかなり新しい動作ということになる。それこそ数万年の歴史を持つだろう木の枝に掴まるという動作に比べて、肘打ちだ蹴りだなんてのは平地に降りて以降、しかもここ数百年くらいの歴史しかもたない。そのくらい我々の身体に染み込んでいる動作の一つがこれだといえるわけだ。
②なぜ片手と両手とで効きが違ってくるのか
恐らく我々は木の枝に片手で掴まっている時に「進む」、そして両手でぶら下がっている時は進まない、つまり「停止」していると考えられる。停止しているということは休憩しているわけであり、そこで警戒しているか仲間とコミュニケーションとっているか、あるいは本当に休憩しているか。そういったことをしている時が両手の時であると考えると、懸垂という動作をしている時でさえ我々はあくまで停止であり休憩の延長として懸垂をしている可能性があることになる。
ところが片手の時はそうではない。進む意志を持った動作ということになる。つまりここにも様々な思いの反映としての片手があるわけだ。
1、単純に別の枝へと移って進む
2、獲物に向かって一目散に進む
3、一度来た道を引き返す
4、敵から逃れるために引き返す
こうして分類しているが、要は我々の普通にやっている「歩く」と「走る」とをこうして腕を使ってやっているということになる。これは考えてみるととんでもない事態で、我々現代人は懸垂一つでもヒーヒーやってるのに、お猿さんたちは歩くように、あるいは走るように切り替えることさえできていたのだ。掴まるー懸垂する(あくまで休憩の延長)という現代人に比べるとなんと多様であることか。
③しかし枝に掴まるということは言ってみれば握る……つまりは引く動作であるのに、天井を押すということは押す動作である。この差異をどう捉えればいいのか
これはつまり厳密にいうと全くの別物であり、全く別の動作、というよりは真逆の動作ということだがそれでもそれなりの効果があるのはなぜなのかという疑問になる。
これを紐解くだけの理屈は見つかっていないが、押すにしろ引くにしろ全体重かかった状態で片手でやってんだからまあどっちも似たようなものなんじゃないか?と思っているところ。
そのうち片手懸垂でもラクラクにできるようになれば厳密には2つは全くの別物だよということが判明するかもしれないが(笑)、まあできるようになる予定は今のところないので解決はできそうにありません。
・で、まあ今回の結論ですが。
公園行って「うんてい」で遊びましょうということですかね(笑)
恐らく我々の内に眠る原始の力を引き出そうと思えばうんていで遊ぶに限ると。で、うんていを極めたとき、我々の片手で進む能力が磨かれることによって結果的に我々の脇腹が鍛えられていると思うんですね。現代人である我々の真の能力が眠っているからこそ、なまっているのが脇腹。ということでこれによってとんでもない力が引き出される可能性があるのかなと思ってます。
しかしオレうんていなんて30年以上見たことがないけどなあ……(笑)
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