ドラクエ3で人生攻略(外界環境と才能・素質・性格)






 今週に入って今までやっていたことが気味が悪いくらいにハマり始めている。あまりにもうまく行き過ぎているのが怖いほど。そしてこういう日が来るのを待ち望んでいたから非常に嬉しくもあるのだが。そういう中で表題のテーマについて考えておきたい。


 ・そもそも才能とはなんであるかといえば非常に難しい。
 例えば三国志の時代に重さ30キロもある武具を振り回せられれば英雄になっただろうが、今やってもサーカス団とかtiktokで名前は上げられるかもしれないが英雄や名将にはなれないだろう。逆に現代の技術でPCスキルや物理学の天才でロケットを宇宙や敵国まで飛ばせられる優秀な科学者であったとしても、三国時代では単なる一農民か、あるいは一兵士か。つまりは本人に天才的な才能があっても、外界がどうかによって状況は大きく左右されるといえるわけだ。
 例えば「足がものすごく速い」というスキル・才能・天性の素質があったとしても三国時代の戦争下では逃げるのが速いという話だっただろうが、それが現代であれば学校教育下で小学校・中学校・高校と大活躍できるというようなことはある。だからと言ってそれが決定打になるということはない。それでオリンピックにでも出る、プロ選手にでもなるともなれば話は違うだろうが、大体はけっこう足が速いで終わる。
 ここで重要なのは、本人に才能があったとしてそれを受け入れる環境が果たしてどこまであるかという話である。全然ないのであれば注目を浴びるどころではないし、逆に脚光を浴びる環境があれば一躍注目されることもあるだろう。それを「天才」というのは容易いが、彼は天才であるというにもスポットライトを誰かが当てなければならない事情はあるのだ。そして才能論を言う時に人が無意識に期待しているのは、その才能にスポットライトを当然当てるほど外界は当然優しいものだし、世の中はそういうものであるという前提である。これというのは足が速いー小学校コースみたいなコースに乗った人は漠然と思いがちな気がするが、世の中は優しくできていると。つまり世の中が受容してくれるという前提がそこにはある。
 しかし根本的に足が遅い場合(つまりはオレみたいな人間ということだが(笑))、世の中は厳しい。何もしないでうまくいくほど甘くはない。だからこそ努力をしなければならないことになる。つまりそこでは努力とは、そもそもが厳しい世の中というものに対して自らを合わせようとする方向性だと言っていい。世の中は変わってはくれないけど、まあ仕方ないから自分の方で変わっていくしかないよねということになる。そういう「優しい世界」観と「厳しい世界」観というのは大体小学生くらいの時にけっこう固まるものなんじゃないだろうか。
 そしてその視野であり見方というものから案外思った以上に脱皮できないまま、少しもそれを成長させられないまま我々は大人になっているということが多い。


 ・そこでそれらを考えるいい材料としてドラクエ3(SFC)を取りあげてみたい。まあ基本90%はファミコン版と同じなのだが、決定的に違っている点として「性格」というシステムが新たに加えられているのだ。例えば魔法使いにかしこさのたねをたくさんやれば「切れ者」に鳴って異常にかしこさが上がるようになる。魔法が強いし、しかも習得も速いといいことづくめである。他にも戦士にちからのたねをやれば「ちからもち」になって攻撃力が高くなると。ざっくりといえばそういう話である。
 本人の性格であり才能である「切れ者」と、魔法使いが組み合わされば理論上最強の魔法使いになるし、同様に戦士が「ちからもち」(力持ちなんてあったかどうかもう忘れたけど似たようなのは多分あるでしょう(笑))であればこれも理論上は最強の戦士ができることになる。つまりこれは何かといえば、端的に言えば攻略に最も効率がいいという話だけど、それだけじゃない。この背景にある概念というのは先の優しい世界観であり、本人の持てる能力・性格・才能……つまりは「切れ者」と、当然「魔法使い」という職業は一致するべきだし、それが最もムダがない、最も素晴らしい世界観であるということがここで我々は知らず知らずのうちに表明してしまっているということでもあります。で、魔法使いが終わったら僧侶になればそのまま「切れ者」なわけですから最強の僧侶にもなれます。ここには至ってムダがない。少しもムダがないですね。そして世界はそういう風にできていると。彼は切れ者なんだから、その持てる力を最大限発揮できるような世界でなくちゃならない。そうなれば、世界そのものがそれを用意してくれているわけです。それが×4人分。これはなんと優しい世界なのかってことですね。


 ・ではじゃあ逆に凄まじく厳しい世界観というものを考えてみますと(笑)
 簡単な話ですが、「切れ者」なのに戦士とかですね。これはもう使い物になるどころじゃないわけです。戦士で攻撃力と体力があがってもらって前線でバリバリやるタイプなのに、そうならない。レベルが上がるたびにかしこさが10とか20とか上がるわけです。これはもう戦士としてはポンコツなわけなんですが、じゃあそういう戦士が現れた際にできることは何か。3つくらいあると思います。
 ①解雇して新しいもっとマシな戦士を雇う
 ②アイテムを入手して性格を変える。切れ者→力持ちみたいに。
 ③いや、こいつの性格は才能だからと捨てずにレベル20まで育てて魔法使いへと転職させる。


 まあ3つあげましたけど、
 ⓪そもそもそんな戦士は作らない
 という前提があるわけなので(笑)、⓪あっての①②③ではあるわけですね。そうなると④縛りプレイで敢えて最悪な戦士をつくってみるという可能性が濃厚なんですけども(笑)そこを無視して考えてみますと。


 ①そもそもゲームがサクサク進まないのでイライラして切るパターンは十分あると思います。すごい厳しい世界観ですが、クビということですね。この視点をゲームで持てるってこともそれはそれで重要だと思います。

 ②敢えてそこまでして育てるということなんで愛着はあると思いますが、しかし大体これ中途半端な結果になるんですね。突出した能力が皆無になる。最も使えない戦士になるという結果になるわけです。こうなると本格的に②→①へ、解雇へとなりかねません。

 ③転職させる、そこまでしても使いたいっていう選択は、自分のキャラへの愛着と、クビにしたくない((優しさ+甘さ)/2)要素と、今から新キャラを一から育てるのもなあという思いの折衷案でしょう。まあボチボチ・ほどほどな選択肢なんじゃないかと思います。


 こうしてみていくと、⓪というもうそんな弱いキャラはいらない、この世界には不要というとんでもなく厳しい世界観から①クビという厳しい世界観ですが、まあ⓪ほど厳しくはない世界観へ、②それでも捨てないという優しい世界観③いや、こいつには見どころがある!という本格的に優しい世界観④優しい世界観を通り越して達観した世界観
 というようなものがあるというのが見えてくるかと思います。


 ・結果から言えば、厳しい世界観の方がゲームはかなり優しくなりますし、優しい世界観でいくと逆にゲームはとんでもなく厳しくなります。使えねーってやつでも使う優しい世界観だとそのしわ寄せはプレイヤーがもろに暗いことになりますし、使えないヤツは使わないんだというはっきりと切る世界観ならゲームはサクサク進むでしょう。ここまでいくと、ドラクエ3というあのゲームはけっこうリアルを予測・推測していくのにかなり適合していたなと。どういう価値観で、どういう世界観で取捨選択を行い、選別していくか。どんな思いで我々はその選別された人々を外界へと接続するつもりなのか。それによってその先の世界は全く違ったものになると。


 ちょっと長くなったんで一旦切ります。
 続きはまた。







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