蚊を一匹残らず全滅させるバケツという動画についての解説





 こちらですね。
 まあ昨日上げたんですけど、それについての解説を少しいろいろとします。


 ・ここ一年くらいでYouTubeの登録者数100人くらい増えたんですけど、だから今170人ですが、あれ気づけばえらい数が増えてるなあと。せっかくなんで1000人目指していろいろ上げてみようと思ってるところです。収益化についてはここ以外はもうクリアしているんで、そうしたらどうなるのか楽しみにしつつ気長にやろうと思ってます。

 で、その発端となっているのが
 この動画ですね。朝6時くらいでしたかね。山を歩いていたらふと足下にマムシがいて、驚いて殴り殺してしまったという動画です。まあ長靴は履いてたし、仮に噛まれても長靴さえあればほぼ何とかなることは今は知っていますけど(噛まれてみたらわかりますが、マムシには長靴を貫通するだけの力はありませんので)、当時はわからなかったから危ない!と思ってやっちゃったんですよね。これがもう長いこと炎上してまして、
 「同じ生き物だろ、可哀そうだ」
 「殺したヤツも同じ報いを受ければいい」
 「動物霊で怖いのはネコとイヌとヘビ」
 とかなんとかあって、動物霊???となってこれ宗教関係者、それも統一教会関係の人があげつらって叩いているんじゃないのかなとふと思って最近冷静になって見られるようになってます。当時はコメント見るのもイヤでしたけど、170人でしかもこんな大したことない動画がバズってるとなると、まあ多分統一教会だと思うんですけど、統一教会さまさまだなとか思ってます(笑)炎上で代わりに宣伝してくれたようなものですからね。


 ・他にも動物関係いろいろ上げているんですよ。

 これとかイノシシが撃ち殺されて死んでるんですけど、話には聞いていたんですけど死んで血が巡らなくなったイノシシからマダニの群れがすーっと頭からお尻にかけて動いていったりしてて気持ち悪かったんですよね。これは本当に人生観に影響を受けたというか、社会にまだ知らない別のルートみたいなものがあるということを気づかせてくれた出来事でしたね。本当に影響受けて銃の免許と罠猟の免許取得しましたからね。もう失効してますけど、またいずれ取りたいと思ってます。


 ・で、ここで言いたいことは別にありまして
 「同じ命じゃん」
 という言い方よく聞きますけど、人間と動物は全然同じ命じゃないというのが私の意見なんですよ。人とイノシシ一匹の命、秤にかけてどちらが大切かと言われれば私は迷わず人間を選びます。はっきり言えば差別思想なんですよ。「人間様の命は他の生き物よりも重い、当然のことだろう」と私は漠然と思ってます。差別主義者だと言ってこれは叩かれる内容かもしれませんが、叩かれてもいいと思ってます。だって人間の方が大切なんだから。
 で、「マムシも同じ生き物なんだから殺すな、逃がせ」というような意見ありますよね。他にもイノシシだって命があるとか、熊が可哀そうだとか。北海道は特にこの問題の最先端ですね。何しろヒグマが出るんですから。

 で、このニュースにある通りですが「クマが可哀そうだ」という動物愛護団体の抗議で狩猟者が動けないと。でも北海道、特に三毛別という場所は特にかつて三毛別熊事件があった場所です。
 最悪の大惨事ですけど、でもこの「クマ」という概念に対して何が背景にあるかですよね。「森のプーさん」しか出ない人にクマが出たとなっても殺さないで、可哀そうとなりますし、三毛別を知っていれば「ヤバイヤバイヤバイ殺せ殺せ」となります。さらに遠くにいる人にとってはこの事件がどうなろうと知ったこっちゃないですが、現地にいる人にとっては明日生きるか死ぬかの大問題なわけです。だから「可哀想だから殺すな」というのは簡単ですが、果たしてその言葉にどれだけの責任を感じているのか。人が死んだとして、「ああ間違っていた」と思えるか。私は思えないと思ってますし、こんなニュースなど明日には忘れられる程度のものでしかないのではと思っています。


 ・北海道は他にもいろいろありますが、この問題に関しては非常にシビアで。

 その場にいた警察の許可を得て発砲したのに免許剥奪されたということで裁判になっています。で、こういう事態が起きるくらいですから、その後恐ろしくてヒグマを駆除できないでいると。で、「道自然環境課によると、今年度のヒグマによる死傷者は12人(うち死者4人)。統計開始以来、過去最多となっている。
 まあ本当に恐ろしい状況だなと思わされます。どういう圧力があったのかはわかりませんが、まあ統一教会とか動物愛護団体のお偉いさんの圧力とかそういうものなんでしょうか。どうも何かそういうものの圧力を背後に感じざるを得ないなという感じがします。


 ・で話は元に戻りますが、蚊を全滅させるって話ですね。蚊がいなくなって食物連鎖が崩れて困ることもあるかもしれませんが、短絡的に考えると蚊がいなくなって困ることってなくないか??と思ってます。まあ実際全滅させようと思えば極めて難しいと思うんですが。でもまあ99%くらい退治することはできないことはないのではと。


 ただここで問題になってくるのが例の思想だと思うんですね。
 「人間も動物も同じ命じゃないか、可哀想だ」
 となると、当然蚊も同じ「1」命ということになりますから当然同じ主張がなされるべき場面です。それも一匹二匹の問題じゃない、全蚊をこの世界から駆除してやるというものですから、凄まじいほどの差別思想を背景に抱いていると言えます。一億や二億、いやもしかしたら1兆に上るかもしれません。当然「可哀想だ」というべきなんですけど、果たしてじゃあそれを主張してくるか。主張してくれればそれはそれでいいなと思ってます。炎上してアクセス数稼げますから(笑)


 もしも主張してこない場合は人間と動物、つまりサルだイノシシだクマだに関しては「可哀想だ」と言っているのに対し、蚊に対して思っていないということになる。つまり私と同じ差別主義者ということになります。蚊は可哀そうではない。つまり差別している。となれば、なんだ、あれだけ声高に言ってたのに所詮は同じ穴の狢(ムジナ)じゃん、ということが明らかになるわけですね。



 ・いや、そんなことすらも実は枝葉末節の問題でしかなくて。
 例えば、イノシシ殺害は可哀想かもしれません。
 でもじゃああなたは豚肉を食べたことがないのかと言えば、かなりの数の人が食べていると思います。余程コテコテのヴィーガンでもない限りは。
 つまり自らは、誰かの殺した豚を焼肉で喜んで食べると。誰かが殺し、誰かが解体し、誰かが裁いて誰かが買ったものが並べられる。それを食べるわけです。その流れの一部となることを自ら喜んですらいる。焼肉はエンターテインメントですから。しかし同じ過程でイノシシが殺されてみると「可哀想だ!」と言う。
 自らの行いは棚に上げておきながら、他人のことは徹底的に攻撃する。
 相手の背景への理解はしないまでも、自らの思想は他者に押し付ける。
 そしてその結果何が起こるかは知ったこっちゃない。
 これらこそ人間存在そのものの持つ欺瞞、矛盾、いや醜悪な実態そのものだと思っていますし、それをあぶり出したいと考えています。いや、それを避難しようというよりは、「あーそうなんだよね。人はそこまで考えが足りないから。言えるし主張できちゃうんだよ。人間ってこういう生き物なんだよね」ということを感じたいというか。
 醜悪も極まると美へと変容する。これこそ私の人生でいろいろ感じてきた中でも最も醜悪な部類のものにして最も美しいものだと思うんですよね。
 皆さんはどう思っているかわかりませんが、私はこの人間という生き物の最も醜悪な部分、それを声高に言う時の誇らしさと人間存在がスポットライトを浴びた時のような美しさ、華やかさ、そして拍手喝采、そういうものの対比を感じるのがすごく好きなんだと思います。








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