昨日書いた話とも通じる話だが、自分の中でまだうまくまとまってない話を書きながらまとめておきたい。
孫子はその中で説いているのが
「百戦百勝は勝ちの中で最上のものではない」ということである。これは私も同意見で、結局戦うという以上はどう転んでもこちらの戦力をすり減らすことに繋がる。戦力をすり減らすということは、敵に付け入る隙を与えることになりかねない。つまり勝つことの前に、戦うということ自体が持つ危うさというものがある。例えば100万の兵士がいるとする。戦いの度に1%の損害が出ると考えると一戦後は99万人となる。その次はその1%が損害として出るので98万100人となる。これを100回繰り返すと、残るのは36万9700人となり、63万の死傷者が出る。つまり7割に行かないほどの損害が出ることになるのだ。
100万なら要塞とも思えるが、これが36万人しかいないとなればその壁の厚さは1/3程度でしかなく、ましてや100戦もした後では疲労困憊、兵站も危ういとなると攻めるには絶好の機会ということになりかねない。まして101戦後の次の相手となりかねないのであれば、先手を打って戦争を仕掛けようというのも妥当な話である。
・こうなると戦わずして勝つというのは最もな話に思われてくる。100万の大軍も100戦してしまえば36万、あるいはそれ以下ともなりかねないし、こうなっては戦わずして降参するだろう相手も容易に降参はしなくなる。逆に101戦後に戦う気満々の相手であっても、100万の大軍を前にしては降参しようという気になるのももっともなことである。つまりは被害をいかに抑えるか、その被害を抑えた状態にある「百万の大軍」といういわばハリボテみたいなものだが、これがいかに有効かということでもある。100万あるからこそ敵を戦わずして併呑できる。そうすれば敵の戦力を戦わずして併呑できるから戦力は増える。100万が101万にむしろ増える。このリクツでさっきとは逆に、次の相手が次々と降参することを考える。一回降伏させられれば1万増えると考えると、一回で戦力は101万、その次で102万……と考えていくと、100回成功すれば兵士数は200万にも膨れ上がる。200万にもなればそうそう容易には攻めることができなくもなるだろう。
・この根底にあるのは何か。100万の兵士がいたところで戦ってすり減ってしまえばそれを維持することすらも難しくなる。しかし負けないこと、そして戦わない、だからこそ負けない、むしろ敵を併呑することができるという論理で行けば、むしろ戦力を増大することも可能であるということになる。
これは結局は昨日のミノタウロスの斧と必中の剣の話に繋がる。
ミノタウロスの斧は時々ラッキーが起きて強敵を倒すこともできるんだけど、素直に戦うことが下策である以上に、戦うことがそもそもそういうラッキーにすがっている時点で非常に危うい。そういう予測できないラッキーで強敵を倒すというのは快感だけど、でもそういうラッキーは決して長続きするものではない。
一方の必中の剣は大体次の展開が予測できる。こりゃ勝てないなと思えば別の手を取ることも可能になる。
じゃあこの差は何なのかといえば、勝てる戦いをするか、それとも負けない戦いをするかという違いに繋がる。まあゲームがゲームなので戦わないわけにはいかないんだけど、じゃあ戦うしかない前提でどうしていくか。戦わざるを得ない状況下で、勝てるための戦いを選ぶか、それとも負けないための戦いを選ぶか。
勝てるための戦いはやはり時々ラッキーで勝てるんだけど、そのラッキーが発動しないとなると負けるしかない。つまりそれを選ぶということは、負けるかも知れない、戦力をすり減らすかもしれないというその可能性を孕んだ状態で戦い続けることを選ぶに等しいと言える。
続きはまた。
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