最近ニュースに触れながらよく思い出すのが、オウガバトルというゲーム。
このゲームというのはかなり変わっていて、要するに敵を倒していくゲームだけど基本的に3部隊に自然となっていく。
①リーダーのいる部隊。リーダーが死んだらゲームオーバー。
②占領部隊。アライメントというものが大きくかかわっていて、要するに天使に占領させるように仕向ければ、占領地の人々の心証も悪くはならないだろうという考えがある。
③殺害部隊。
これが非常に変わっていて、敵は容赦なく兵士を送ってくるんだけど、その敵も倒していけばレベルは下になっていく。
こっちがレベル8で敵が10なら強敵に向かっているということで人々の心証もよくなっていくんだけど、逆にこっちの方がレベルが高いと弱い者いじめとなり、さすがの天使でも悪人扱いされるようになっていく。
そういう厄介ごとを全て一手に引き受けるのがこの部隊。レベル差などを一切気にせず殺害を繰り返してレベルを上げていく。これによって、例えばボス戦であればボスを弱らせることも可能になるし、雑魚の群れをひたすら殺害することも可能になる。
この①②③の使い分けがキモであって、敵地を占領する場合には②でいい顔をし、敵を殺す場合には③を使うというような方法をとることによってゲームを有利に展開することが可能になる。
これというのはけっこうリアルに近いものがあって、汚れ仕事を引きうけるには汚れ仕事役がいるし、いい顔をするにはいい顔役がいる。そしてその使い分けによって人々の心も静まっていくわけだが。
・じゃあ自民党にとっての統一教会というものは何だったのかといえば、まさに③の役を引き受けているように思える。人々から金を巻き上げ、それを資金として流用する。金さえあればアメリカ大統領を呼ぶことさえも可能になる。さらには人々の信心を利用し投票活動を効率化していく。自民党の裏の顔というわけだが、いざとなれば今後は関係を持たないといって尻尾切り。そして再度使えば「統一教会とは知らなかった」で済む。結局自民党が望むような仕事を、まさに望む形ですべて引き受けてすべてを円滑に流していく仕組みが備わっている。
こういう仕組みであり構造であり概念というものを25年くらい前に解き明かしているオウガバトルと言うゲームはつくづくすごいと最近よく思うようになった。という話。
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