サガフロで人生攻略(技は教えられない)






 ・サガフロンティアってゲームがあって、中学位の時にはまってやってたものでした。あれもサガ系統のゲームではあるのだが、ロマサガ2や3なんかは覚えた技を他のキャラが使うようになるということが可能でした。2は年代がジャンプすると歴代の人々が覚えた技ということで教えられて身につけることが可能になっているし、3では極意を会得したとなれば、剣がうまいヤツが閃いた技でも剣なんか全然使ってませんという人でも覚えることができると。便利な機能でした。


 ・しかしサガフロはそうではないと。誰かが覚えてくれたからといって他のキャラが使えるようになるなどということはありませんでした。例えばなぎ払いを覚えたかったらお前も剣を使えと。このシステムはどうなんだろうかと思いましたが、しかしこれはリアルに沿っているし、それに理に適っていると。
 大体剣のいってみればプロみたいな人が閃いた技を、ド素人で「剣もってみました」みたいな人がいきなり覚えられるなんてことはあり得ない。これは便利ではあるけれど、リアルではないといえます。
 ここにある理というのは、誰かが技を覚えたからといってそれを見よう見まねで覚えられると思ったら大間違いだということを表わしていると思います。
 本当にその技が欲しかったら、自分でやって閃けと。それが合理的だし、理に適っているし、一見便利ではない、不便そうにも見えますが、でも本当に技を会得するのであればそんなうまい近道は本当はないのかなと思います。つまりこれはプレイヤーになれということだと思うんですね。プレイヤーというとちょっとややこしいですが、ゲームしているその人というプレイヤー、という意味じゃなくて剣を扱う人という意味でのプレイヤーということです。要するに剣を扱いたければ剣のプレイヤーになれと。剣を扱うプレイヤーとして生きれば自然と覚えると。


 ・まあこれは常日頃言っていることでもありますが、「主観を磨け」ということですね。客観性なんて磨けるものじゃないし磨いているという錯覚がかなりあると思うんですが、それが現代の歪みの一端だと思っています。例えば「客観性」なんていうと、第三者目線とか中立的な人としての立ち位置という意味でつかわれることが多いですが、この意味合いも場合によっては大きく違ってくることがあります。プレイヤーを卒業したOBとしての、元経験していた者としての客観性と、全く経験していない赤の他人の客観性、なんてものがいかに違うものなのかなんてことは言うまでもありません。それはもう客観性という名の害悪でしかないということさえあります。まあじゃあOBの意見が絶対なのかといえばそうも言えないわけですが、明らかに時代遅れだとか目線が古いということもあり得ます。しかしそれが明らかな間違いであるということ、それを踏まえても全くの赤の他人の意見以上なものではあると言えるでしょう。
 そういう前提を抜かせば誰だって「客観的な」意見をいうことはできますが、それがかなりの場合役に立たないとか全然効果がない、むしろ逆効果だというのは、そのプレイヤーをやっている人の文脈にどこまで寄り添えるかということにかかっていると思います。主観性同士であれば共感はできる。その余地がある。しかし全くの赤の他人、全く文脈を知らないという場合、これに寄り添うということは極めて難しい。なぜならそこには前提となる経験がないわけだから。寄り添うことができない、その力のない、というよりそれをめんどくさがり、そして歩み寄りを拒絶するという「客観性」に果たしてどれだけの効果と価値があるのかは極めて疑わしい。



 ・そういうわけで、前提として重要なのはプレイヤーであること、それを踏まえて主観性を磨いていき、そして自分なりの技を覚えていくこと。これが重要なのではないでしょうか。










この記事へのコメント

にほんブログ村 ゲームブログ ゲーム評論・レビューへ
にほんブログ村