はぐメタ叩き






 ということで連日死闘を繰り広げているが、今日はそこにいるとわかっていたはぐれメタル、いやそれどころかメタルキングの大玉を取り逃がしてしまったことで叫んだ上にへこんでもうそれどころじゃない喪失感に襲われた。99%、いや99.9%、いや99.99%と追いつめておきながら、取り逃がすとかあり得ねえ。まあそういうもぐらたたきならぬはぐメタ叩きみたいなのをやっているというわけです。


 ・なぜ取り逃がしたか。
 まず第一に昨日の準備が甘かった。昨日の段階できっちりホワイトボードとかにつけていればこうはならなかった。忘れたりすることはなかった。
 つまりは単純な準備不足。
 これが第一の敗因。


 次に今朝起きたのが7時半とかだった。
 これが4時とか6時とかなら早朝に運動してきっちり覚醒した状態で勝負ができた。前日の準備が甘かったとしても今朝の段階でそれができたはずだった。
 それができなかった。これが第二の敗因。


 第三の敗因としては、つまり断定の方法がまだ習慣化されていないということ。もしも準備ができていなかったとしても、今朝の段階でダメだったとしても、それでも習慣化されて身体に染みついているものがあれば十分に勝負はできたはずだった。それができていない時点で第一や第二以前に負けていた。チャンスを掴む体制ができていないということはそれだけで十分に負けの原因足り得るということだった。


 ・そんなこんなで徹底的にはぐれメタルを追い込んでいくというもぐらたたきゲームみたいなことをやっているわけだが、そこまで追い込んでいながらしょうもない、本当につまらない些細なことでむざむざと取り逃がしてしまうという痛恨のミスをしてしまったおかげであまりのショックで叫ぶわ頭痛になるわ生気がなくなるわと散々な午後を過ごした。マジでショックのあまりに血を吐くんじゃねえかと思った。めまいがして立っているのもやっとって感じだった。


 しかし喜ぶとか悲しむの基準が変わりつつあることに自分の成長を認められたのも確かだった。以前なら外れてギガンテスにぶん殴られたことに対する悲しみというものが先に来ていた。外れた。ぶん殴られた。それがショックだった。悲しんでいた。
 でも今は違う。こうじゃねえかとはぐれメタルを徹底的に追い込む緻密な計算によって追い込んでいき、追い込んでいながら最後の一打の段階で、それをむざむざと逃したということがこうも悔しい。


 つまり今は失敗したことが悔しいんじゃないと。
 チャンスがありながらも、そのチャンスをわかっていながらもむざむざと取り逃がしたことが心底悔しいんだと、喉元99%のところまできていながら、それをわかっていたはずなのに取り逃がした。そのオレの甘ったるさに心底腹が立つんだと。そういうのを自覚できたことが良かった。
 マイナスなことに目を向けているんじゃない、プラスを取り逃がしたことが許せない。そういう風に自分の中で意識が変わってきているということは成長なんだろう。


 そう思えた一日だった。





この記事へのコメント

にほんブログ村 ゲームブログ ゲーム評論・レビューへ
にほんブログ村

パソコンランキング