なんか呪術の話になりそうですが(笑)
今日ネタないしいいかと思ってましたが書きます。
・呪いとは何か、人が人を呪うとは何かって話ですが、じゃあ「そんなオカルト信じているのか!」となりそうですが、そういうことに興味ありません。こっくりさんとか。怖いとは思いますけど(笑)、まあないだろうと思ってますし、一生近づかないと思ってます。心霊現象とか嫌いですし(笑)ないと思うから多分呪いスポットとか平気で行ってたんだろうな。昔は……(笑)身体を悪くしたのはそこらへんでしたが、じゃあ身体が良くなったからといってもう一回やるほどの意気地は残念ながらありません(笑)懲りました(笑)
・呪いというものはないんだろうなという私のようなスタンスの人間がもしも呪いをあると思うのであれば。人と人との関係性ってのはつまり玉入れみたいなもんなんじゃないかと考える。
自分が投げる。それが入らない。それが向こう側の人に当たる。
あるいは向こう側の人が投げた。それが自分の頭めがけて降ってくる。しかし隣の人がそれを察知して払いのける。
多分関係性と呪いってのはこういう感じなんじゃないだろうか。
つまり分析すると、
①関係性がいいと自分に降りかかる不幸は察知した隣人が払いのけてくれることがある
②関係性が悪いと、自分に降りかかる不幸を修正しないでそのまま直接降りかかるようにすることがある
③関係性がいいと、自分に降りかかる幸運を隣人がそのまま落ちるままにしてくれる
④関係性が悪いと、自分に降りかかる幸運を隣人が横取りする
玉入れで例えるのもなんだが(笑)、まあこういう感じなんじゃないかと思うわけだ。
その降りかかってくる出来事自体をコントロールすることはできない。しかし人と人との関係性というものはその事態を左右するだけの効果がある。ダメージをぼかすこともできれば、幸運をそのまま享受できるようにすることもできる。しかしそれを左右してくれるかどうかはかなり隣人に左右されることだと言える。関係性というのをどう捉えるかと言えば、事態と自分との間でそれそのものをどうするかという意味でかなり決定権を握っている。それはつまり、我々と事態とは実は間接的な関係性として捉えなおせるのではないかということでもある。幸運を享受できるのも、不幸を回避できるのも、案外我々自信がコントロールできるところは少ない。だからこそ関係性が重要となってくるといえる。
・事態というものを横から見ているとその事にハッと気づかされることがある。そして一見「不幸が降りかかってくる」ように見える、ああなんてことだと思えるが、実は案外そうではない。案外それは身から出た錆だったりする。それは多々ある。しかしその不幸を何とかしようという力が働いていないということを知る時、初めて意外な事実が頭をもたげることがある。そういう時に思い知るのだ。ああ、我々は生きているんじゃない、生かされているのだと。
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