価格と価値






 ということで桃鉄もひと段落ついたって感じですが。一応書くことはないわけではないというか、細かいことを言えばいろいろあります。うまおにが実は美術品も買うとか、貧乏神が勧めたら食品物件買うとか、まあいろいろあります。まあでも細かいところはいいんじゃないかなと。一年間キングボンビーをつけるルールでハンデやって、えんまとあしゅらとかぐや姫負かせてから、かつ20年ルールでやってまあ十分やることやったかなという感じですね(笑)
 これだけやって勝てたんだから十分だろうと(笑)


 ・ということで本音と建て前と言いますか、桃鉄を通して実生活に繋がる何かを見つけ出すということをテーマにやってましたがまあ十分なんじゃないですかね。まあまだ出てくるかもしれませんが、桃鉄Happyに関してはもう終わったと思ってます。
 これで桃鉄も勝てる。
 実生活にもじゃあこれを応用しようってことです。どうやって応用するかって? それはもう各自の思いつくままですね。


 ・ということなんですけど、これを進めている最中にいろいろと違和感を感じたってのは確かです。学校教育や普通の生活にもある、当然あるはずの暗黙のルールであり本音と建て前とか。
 我々は価値を求めて生きることになってますが、それはあくまで建前で、本音を言えば価格を求めて生きているといっても過言ではないと。価値を求めても価格が得られなければ意味がない。それは価値というものに到達すれば当然価格がついてくるという前提で話が進んでますが、そんなことはない。価値があっても価格がついてくるわけではない。つまり我々はそういう「神話」を通して価格を求めるように生きさせられているというわけです。これというのはかなり厳しい欺瞞で、我々はその本音を暴くことを許されていない。だけど価値を求めることと価格が全く違うものだということに気づきさえすれば人はもっと楽に活きられたんじゃないだろうか。そして今後も生きられるんじゃないだろうか。つまり私が言いたいことは、価格を実現した後でも、価値を体現することは十分可能なんじゃないかってことです。世の中は価値→価格というウソを前提にしていますが、果たしてそうなんだろうか。価格→価値ということがあってもいいんじゃないだろうか。そしてなぜそのことが隠されているのか。なぜ我々は価値ではなく価格の方に目を向けて攻略することが許されないようにできているのだろうか。まあ言いたいことはわかります。それは汚いことだってことは。でもそれは本当に汚いものだったんだろうか。だって一生懸命やってた人がコロナ渦で仕事も住居も失ってますからね。マジメで一生懸命やってた人が没落する。それはなぜかといえば価値を追ってきたからです。言い換えれば価格を追究してこなかったから。価格とは何かということをもっと真剣に追究していればこうはならなかったんじゃないか。それが汚いものだ、汚いことだという前提があるから、踏み込まなかった。つまりはラクしてきたってことではないかと。
 そこにこの世界の真実があると思っています。はっきり言えば価値ではなく価格を追究せよということです。


 ・まあブログを通してやりたいことというかやらないといけないと思ってることはいろいろあるんですが。
 外国語だプログラミングだ、考え事だ中国史だといろいろありますが。でもそれってのも要するに価値のあることなんですよね。
 価格のあることではない。それって果たしてどうなんだろうなあと思っています。重要ではありますが、でも今思うことはそれは別に本質ではない。要するに別に10年後だっていいんじゃないかと(笑)別に問題ないじゃんと思ってます(笑)


 そういうわけで方向を一気に転換しようと思うので、多分ブログの書く数当分減ると思います。また新しく別のネタにハマったら書くかもしれませんが。






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