悪口と期待






 誰かへの悪口というのは、その人への期待に他ならないのでは、とふと思った。
 あれがダメだ、これがダメだ、あれが足りないこれが足りない。そうしてその人に見えているものというのは形は悪口の形を取ってはいるんだけど、実際にはその人がこうしたらもっと伸びるのにな、もったいないという思いの裏返しであって。そうでないことが想定外、だから悪口という形になって表れる。
 ①相手に期待していること
 ②期待通りにならないことが自分にとっては想定外であること
 ③①、②を統合して、実は相手に大きく依存していること
 こういうことがあるのではないかと。しかしこれは言い方を変えれば、①自分ではなく相手に、他人に期待するという精神的な弱さ②その事態を想定して受け入れることができていないその想定能力の至らなさ③依存心の強さ……こういったものがあるのではと。そうなると、悪口というのは言っている人の内面というものをこれ以上はないというほど明らかにしてしまっている、ということがあって。


 悪口は言わない方がいい、とはここではいうつもりはない。それで気持ちが晴れるのであればそれはそれでプラスな面もあるといえるわけだから。しかし上記の①②③のどれか、あるいは複数個に当てはまるのであればそれはそれで決していいことではない。
 そもそも一番いいのはこういうことを恐らく分析することではない。
 自分のやるべきこと、やらなくてはならないことがはっきりと明確に具体的な形であること。
 そしてそのことをもしも放置した先のその責任を誰も取ってくれないこと。自分のことは自分で解決するしかない。依存しようにも解決できる相手が自分しかいない、となればそもそも悪口や愚痴を言っていること、その時間などはムダなことでしかない。そういう追い込まれ感と目的意識さえきっちりあれば、自然とそういうものは出てこなくなると思う。そんなん言ってる暇があればやれというような状況にあることが大切なのかもしれないし、あるいはそういう悪口や愚痴をボヤける余裕があるだけ幸せなのかもしれない。などと思った。





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