韓信の死






 韓信という稀代の天才の生きざまについてはいろいろな本で知ることができるが、その死というのを見始めると分析するのはいろいろな要素があり難しい。
 しかしその死の分岐点がどこにあったかといえば、蒯通(かいとう)のアドバイスに従わなかったからだというのは一定の理解を得られるのではないかと思われる。蒯通は別に天才だったというわけではないが、古典を元にして未来を予測する力があった。「主を震わしたる者身危うく」という言葉で韓信を説いた。歴史上たくさんの名将や功臣はいたのだが、彼らが死んだのは別に罪があったからではない。むしろその多大なる功績が彼らを滅ぼす結果となった。それに従って判断すれば、韓信ほどの才能があればいずれは誅殺される方が自然だった。つまりは、韓信は軍事の天才だったかもしれないが、その他の分野を活かすこと、特に古典を活かして未来を予測する能力に関しては劣るところがあったと言えるし、その劣る部分が彼のアキレス腱だったと言えるだろう。
 「人はその長ずるところに従って滅ぶ」とは言われるが、韓信に関してそれを言うのは恐らく的確ではない。


 ・蒯通が韓信にしたのはただのアドバイスだったが、しかしその後蒯通は追われる身になった。韓信を焚きつけた罪は重いとみなされた。しかし蒯通は死にはしなかった。だが、的確なアドバイスをして事態を大きく変え得る者は刺される可能性がある。韓信にしても蒯通を一応刺すことはできただろうし、劉邦にしてもそれは同じことである。
 蒯通は韓信にアドバイスをしなければこうはならなかった。アドバイスの恐ろしいところは、様々な者に狙われる可能性がある、恨まれる可能性があるところにある。それが的確であれば劉邦に刺されなければならなかったろうし、でたらめであれば韓信の方から刺されねばならなかった。蒯通はその両者の間を巧みに生き抜いたといえる。ここには才覚がある。


 ・ここから言えることは、アドバイスをするのであれば、それも親身にしようというのであれば、相手を選べということになる。
 アドバイスはどう転んでも刺される可能性がある。禍根を残す。
 ウソであれば刺される。
 的確過ぎれば刺される。
 しっかりと記憶に残せなければ(相手が違う記憶を持てば)刺される。
 その通りにしていればよかったと判明した時には刺される(なぜもっと強く言わなかったんだ!と)。
 的確な者に適度なアドバイスをできない時には刺される。
 その適度さ加減を見誤った時には刺される。
 刺されるのだ。


 「刺される可能性」という第三の要素を組み込まない事には、真に的確なアドバイスはできない。言って刺される可能性がある時には、言わないということは最もベストな結論となり得る。
 「軍師」というのはそういう刺されない一種の無責任さを許されているわけだが、現代には軍師などないわけだから、「刺されない」ことを確認してからアドバイスをしなければならない。


 張松は蜀の未来を思って劉備に蜀を売ることを考えて首を刎ねられた。国を憂えてやったことは売国奴の行為だったが、彼は彼なりに国を憂えていた。その結果が首を刎ねられることだった。この愚を犯してはならない。




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