ということで、これまだ続くんかいと思われる気もしますが(笑)まあもうちょっとお付き合いください。
ちょっと思い付きで小学校の頃の文集とか引っ張り出して読んでみたんですけど、まあひどいもんですね(笑)これでもかってくらいひどい。そのひどさってのは結局、小学一年生なんて主観的な世界でよかったわけですけど、それを少六になるにつれて発展させ、より客観的な世界へと広げていこうということでもあるなと思いました。もう完全に書かれている物も表現様式も自分の世界であって、世界へと開かれていないんですよね。書けば当然おめーらわかるだろうみたいな世界ですね。
だから、人間としてみれば本当に半人前どころの話じゃないわけです。でもそれが一年生やって二年生やっているうちに、五年生くらいになるとあら不思議、今までの積み重ねが急に開花してそれらしくなってくると。多分これは上級生としての下級生の上でもあるんだぞという自覚がそうさせている面はかなりあるんでしょうけど。かなり相対的なものですね。でもまあそれが芽吹くのもそれまでの五年くらいの下積みあってのことだなと。それがなけりゃあとてもとても芽吹くなんてもんじゃあない。
・でそういう主観的な世界観とは何かなって分析してみると、つまりは0.5倍速日本語の世界だなと思いましたね。日本語ですら使うのにはここまで苦労してるのかってことですし、本当に誰もがものすごい苦労している……というほどまで苦労は自覚してないわけですが。「あーりーがーとーお」の世界とほとんど変わりません。そういうものが二年生になって0.6倍速になり、三年生になって0.7倍速、四年生になって0.8倍速、五年生で0.9倍速となり、六年生でようやく1.0倍速になるのとこれは一致しているんじゃないかなと。これはもうまさに小学校で英語を学んでいるかいないかの差そのものと一致しているなと思いましたね(ややこじつけ気味ですけど(笑))。
だから、恐らくこの方向性で考えてみると、0.5倍速英語から初めてじっくりと親しんでいき、0.6、0.7と徐々に上げていく。それが英語をマスターする……とまではいきませんが、まあ普通に1.0倍速で使いこなすための最も近道なんじゃないかなと思います。
・だから結局のところなぜ我々がその後受験英語でいろいろ学ぶのにも関わらずTOEICで挫折するかといえば、基礎といえる基礎ができてないってことでしょうね、基礎ができてない、英語で「あーりーがーとーお」の世界なのに、1.0倍速のまねごとやるわけですよ。そりゃあできないでしょって話ですね。
だからこのことは我々の英語そのものが本質的に「あーりーがーとーお」レベルであるということを突き付けているんじゃないかなと思いますね。
だから、一か月くらいかけて0.5倍速英語に親しんで、その次に0.6倍速でいく……という風に持っていくことが恐らく英語をマスターする上で最短距離になるはず。
……という信念を持ってやっていこうと思います。
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