小学校で英語ってのはすごい強い反発があったよなーとは思うものの、このご時世だし英語能力の欠如がいろいろと不具合をもたらしてきた側面はあるしまあ仕方ないかなーという印象。まあそう悲観的に考えることでもなく、もっとプラスに、武器となると思っていいんじゃないかなと思う。本当に諸外国と渡り合う武器なわけで、それが完全にない世代がいかに悲惨だったかを思えばこれはもう致し方ないかなといった感じすらある。
で、2011年から小5小6で導入、去年から3年生からとなったということで、計算すると今その初期の世代は21とかなんですね。実際どうなのか興味があるけど、そういや今年の初めに徳島の高校生がスタンフォードだかに合格したってことで話題になってましたが、つまりいまや普通に高校生が海外の大学を狙える時代になったんですね。2年早まっただけでこんなに効果があったんだから、もっと早くしてみようかという感じでしょう。この閉塞感しかない日本からアメリカへと出ていく、まあ日本はさらに衰退が速まるかもしれませんが(笑)、田舎から都市へと流出というのがいまや日本から世界へと流出という時代になっているんですね。まあ流出というと悪いイメージですが(笑)、世界で活躍と。そういう感じですよね。
・ということでせっかくなので英語の教科書もいろいろ見てみましたが、中学校の内容をそのまま下に持ってきたという感じでした。まあ過去形とかわからないとどうしようもないからまあ妥当でしょうね。
で、中にはアメリカの小学校で使われている教科書もあったんですが、これとかですね。
動詞と前置詞の組み合わせがポイントだよな~ってのは桃太郎でうじゃうじゃ経験したわけですが(笑)take onとかjump outとかですね。あの自動詞に前置詞の組み合わせのやつ。そういう印象ありましたが、prices go upとかin charge ofとか載っててあーそれだよなーというのが印象としてありました。
で、そう思ってみると日本のは動詞弱いイメージでしたね。というか全部大切だから全部鍛えようというか。これはまあフィリピンの英語の教科書も同じ感じでしたから、英語圏以外はどこも似たような感じなのかなという印象でしたね。鍛えたい方向性が違うってのは思いますね。英語圏は当然英語だから英語力を鍛えようとなれば、動詞メインになる気がします。日本はそういう向きではなく、まんべんなく鍛えたい、だからその先にあるのは受験だと。大学に入ることだ、いい点を取ることだというような。そういう意味では、日本でも動詞+前置詞を重点的にやろうぜというようなのがあると、けっこう効いてくるような気がしますね。それは受験には効かないかもしれませんが、英語力的な意味合いでは非常に強く効いてくると思います。
例えば「馬鹿」って言葉があります。これって英語圏からみると「なんで馬と鹿で馬鹿になるんだ?」ってのはある気がします。horse+deerでfoolになるわけですから意味が解らないんじゃないかなと。これって我々が「なんでtakeとoffでtake off=離陸になるの?」みたいなのと似ているんじゃないでしょうかね。わからんけど(笑)
・あとはそれとも関連してますが、物語的な方向性の少なさが気になりました。brotherがどう、motherがどう、天気がどうとかそういうのが多くて、物語に触れる機会ってけっこうないよなと。初めはまあ基礎だってことかもしれませんが、あんまり物語に触れることってそもそもない気がしますね。受験にそもそもほとんど関係ないわけですし。それだったら記事とか読み物的なものを読める能力の方が重要って感じはありますよね。TOEICなんか明らかに経済的なものに偏っているわけですし。
とそう思ってみると、英語桃太郎はやっぱいろいろよかったのかもなあと。日本英語の弱さというか、欠落しているものをすっぽりと覆ってしまう感じがありましたね。終わってみると。
これならうーんこのまま鶴の恩返しとかもやろうかなあ。
とか今考え中です。
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