後悔先に立たず






 「後悔先に立たず」とは言うものの、なぜ後悔は先に立たないのか。それをふと思いついた。後悔というのは今生きている人間の地平にはないものだからだ。当然後ろ髪を引かれるような気持になるわけだが、でもいくらそうであってもその事実というのはもうすでに今現在の地平にはない。


 ・つまり、三国志ネタで言えば(三国志知らない人には申し訳ない)
 「ああどうして諸葛亮はあのタイミングで死んでしまったのか!」と嘆くようなものである。あそこで死んでいなければと言ったところでもう死んでいるわけだから生き返らせることなどできるわけもなく。
 じゃあ
 「ああ諸葛亮が死ぬ前にもう少し負担を和らげることはできなかったのか!」これはもう少しいい後悔かもしれない。それによって諸葛亮はあと10年は生きることは出来たかもしれず、まあ既に諸葛亮は死んでいるわけだが、それでも先に繋がるマシな後悔だと言えるだろう。マシなというのが重要で、上に書いたような「ああどうして諸葛亮はあのタイミングで死んでしまったのか!」こんなことをいくら嘆いても本当に仕方がない。なんの役にもたたないどころか人生を食らい続けるという本当に厄介な部類の後悔だと思う。そしてそういう後悔を本当に人はしてしまうのだ。理屈ではないし、そこには筋もない。そこにはまり込んでしまう可能性があるというのが本当に人という生き物の本当に厄介なところだと思う。人という生き物のもつ致命的バグのひとつだと言っていい。そしてこの種の後悔は、今見えている地平上でのものを全て薙ぎ払うように破壊し続ける。


 ・ここでじゃあ何が言いたいか。
 後悔するにも筋を通すべきだということだ。じゃあ何が筋かって、それが後悔である以上、それは既にこの地平には存在しない類のものであるということをきちんと認識する。それが筋だ。だから、これはゲームで「あーあそこで死んでなければハイスコアを更新できたのに」とか
「鳥であれば、空が飛べたのに(なんでオレは人間で生まれてきてしまったんだちくしょう)」というものとまったく変わらない性質である。後悔というものがその性質上、この地平上に全く存在しないものであるというわけなのだから、それはつまり地平に存在しないものというカテゴリ上で迷うべきなんだということ。それをあたかもこの地平上にあるかのように錯覚し続けて解決しない、解消しようとしないというのは卑怯だということだ。
 ゲームのことを「いやいや、そんな後悔しなくたって所詮ゲームの話じゃないか。何をそんなに後悔してるの、いやそんなに後悔せんでも」というように、それと同じ形でそれはやはり解消されなくてはならない。この地平上にないという点で共通しているのだから、それと同じ図式で解消される必要がある。そしてそういう形で解消されるということを迷ってはならない。いくら迷っても悩んでも、それというのはこの地平上には既にないものなのだから。






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