荒井由実は天才だという話その6






 ということで合間にインタビューとか取材とかいろいろ聞いていたけど、すげえーーーこの人考えてるんだなと。考えうぎなんじゃない?と心配するくらい(笑)
 「売れて当然」というプレッシャーがあって、そのプレッシャーと戦うようにしてやっていたんだなってことがよくわかった。正直松任谷由実となってからは少し落ちる……というのは多分誰も言っていることだと思うんだけど(笑)、それをリクツ的に考えるならばその重圧との戦いがきつすぎたということなんだろうなと。「私は天才だ」的な発言とか時折見かけるんだけど、多分リクツで考えても答えが出ない時って多々あるんだろうなと。そういう時に「まあ私って天才だから」の一言でガハハと笑い飛ばして何とかなると思ってやるってのが精神的にも、そしてその成果としてもよかったんじゃないかなと思った。
 それにしてもインタビューしている人も当然理詰めにやっていけば、まるで雑巾から一滴でも貴重なひとしずくを絞り出せるかと思っているかのようで。正直けっこう聞いてて不快なインタビューがあったという印象。そしてそういうインタビューの影響を受けて「理詰め」的になってるかのような印象を受けた。理屈ってのは一手段でしかないし、それが当然の過程でありベスト、というような雰囲気がある80年代をどこかちょっとあまり好きにはなれないような気がした。個人的には、そういう空気感がかなり影響しているような印象を受けたという話。今も悪い形でそういうのけっこう空気感として残っているんじゃないかなと。インタビュー礼賛とか、言葉は正義だとか。それに今でこそ「会議で決まったことは大体がクソ」みたいな(笑)経験知みたいなのがなんとなくあるわけで。それを思えばそういうもののない時代にインタビューで根掘り葉掘りってのは本当にダメージが大きいというか。インタビューという名の拷問にすら思えた。悪い意味で考えすぎてたんじゃないかなーと思ったという。
 それと、この社会は意外と才能の味方をしてくれない(笑)


 wの悲劇
 この曲を手掛けていたってことは知っていたけど、自分の番組にこの薬師丸ひろ子を呼んでああめっちゃ仲いいんだなーと思って聞くと少し印象が違って見えた。いい曲だと思うし名曲だろうなーとは思った……(笑)しかし別に好きではないかな。ただもともとの裏方気質みたいなのがあって、それが存分に発揮されているなというのは思うところ。器用というか多才というか。能力がおさまりきらない印象を受ける。


 守ってあげたい
 この曲知ってはいたけど、CDで聞くと「なんじゃこりゃあ!?」という印象だった。そのCDも気づけばどっか行った。思うに、荒井由実は非常にいいという印象だったけど松任谷由実になってからは「ん???」……という印象を持ったのはこの曲がきっかけだった気がする。しじみを食ってたら砂を噛んだというような印象でした(笑)でもこうやってきいていると別物だよなあという感じ。これでそのまま行けばよかったのではないかと。

 さざなみ
 これは別格にいいと思う。やっぱ70年代と80年代ってのは明らかに一線あるなーと思いつつ。


 ベベル・ジルベルトだそうな。



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