人助けについて






 最近これについて延々考えているせいで滅入りがちだったりする。困っている人を助けるということ、これほどまでになかなかに厄介なことというのは他にないのではないかとすら思える。


 ・そもそもこの土地へオレが来ることになったのは人助けのためだった。言ってみれば、穴に落ち込んでいる人を助けるためにオレがやって来たという話だが。結果から言えば、そのシチュエーションはオレを踏み台にしてもう一人が助かるという形で終焉を迎えた。助けるためにやってきたオレが、まさか踏み台となって相手を助けることになろうとは? しかしそれを目的としてやってきたということ、その本筋から言えば、人を助けるためにやってきたわけなので、そこに文句を言ってはダメだと思う。むしろ、人を助けにやってきたわけだから、その本筋から言えば、どういう形であろうと相手は助かったわけだから、そこをきちんと受け入れなくてはいけないと思うのだ。気分が悪いとかなんとかはその次であって。
 例えば沖で溺れている人がいたとする。水連達者な自分が当然行く、となるとそこで溺れて暴れていて引っかかれたりしがみつかれて一緒に溺れかけた、なんてことはよくある話である。でもそれは当然そういうケースは多々あるわけで、素人にそれを言うのは酷なことではあるだろうが、そこは我慢するところだと言えるだろう。引っかかれたりすることがイヤだから行きたくない、となれば行かないということだって起こり得る話だし、引っかかれはしたけど、でも命が助かって良かったね、ということは当然あるべき終焉の形であるはずなのだ。そうなると、踏み台になったことぐらいなんだ、という覚悟をそもそも持てなかった時点でオレには資格がないことになる。だから資格を持とうというのであればそこは我慢しようよということだし、それが本筋だよねということでもある。もしくはそもそも助けに行かない。そのどちらかであるべきでしょうと思うわけだ。

 ・しかし人の厄介さはそこから始まると言ってもいい。窮地に陥った人がまさに「溺れる者は藁をもつかむ」で助かるわけなんだけど、そうして助かるということはかっこがつかない話でもあるのだ。かっこ悪い。助けた方は表彰なんかされて輝かしいかもしれないけど、でも助けられた方はかっこがつかないのだ。ここではっきりと明暗が分かれる。そして同時に、ここに恨まれる要素が出てくるのだ。「恩に着る」という表現があるが、これというのはなかなかに奥の深い言葉でもある。本当はかっこがつかないのだけど、恩は恩として返す。そういう気持ちがある。そうやって敢えて規定するということは、恩というものは容易に恨まれる側へ、あるいはほかの形へとひっくり返るものでもあるということを意味している。恩を恨みとして返すのではなく、恩を恩義としてきっちり返そうという心がけだけでもなかなかにないことであるのだ。

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 こうやって怒る人もいる。
 本当はもっと単純な話なんだけど、
「ああーあれやっといたわー」
「ああー悪いねー手間が省けたわーありがとう」
となるような話なのだが、まあ皇帝側が約束を破ったというのが大きい。これではメンツが丸つぶれで立つ瀬がない。となるとてめえらをぶん殴らないと気が済まねえ。他に方法はないのかという話だが、人はこうやっていろいろなことを口実にケンカしないと気が済まない。


 ・私は元々自衛隊だったが、自衛隊というのはそういう意味では都合のいい組織でもあったのだろうと思う。人助けをする任務もあり、直接誰かを助けたりする。そうして直接的に恨まれるケースはかなりあるのだ。その恨みというのは、何故オレが災害に会わなくてはならないのだという感情のはけ口としてだったり、家族が見つからないで当たり散らすとかだったりするものもある。それは本筋ではないかもしれないが、でもそういうものは人は持っている生き物でもある。そして現にそういうのを吐いて当たり散らせるのであれば当たり散らすこともあるのだろう。しかしそこで気分が悪くなったとしても、お互いに一回きりの関係であるという事情がある。こういう事情があって人を助けなくてはならないという側と、他人に助けられてしまったという側との気分の悪さが一過性のもので済む。そういう意味では助けるという事においては一回こっきりの使い捨てくらいの方が都合が良かったりするのだろう。


 ・火事があったりして、消防隊員に助けられた側というのもそれはもう九死に一生を得たばりのものだろうが、それは同時に近隣に事情を知られて恥ずかしいということでもある。恥ずかしいということは、恥をかかされたとなると。そういう意味での恩と同時にあるよくも恥をかかせてくれたなという気持ちというのは薄々あるような気がしていたが、まああっても不思議ではないなと思うのだ。まあそれを全てそれで切って捨てるというのはさすがにやり過ぎだとは思うが、しかしそういう感情を無視していると痛い目に遭いかねない。人の気持ちは思いもしないところから……というほど思いもしないところでもない気もするのだが、急に湧き上がってきて最終的に思わぬ形を迎えることになることがある。


 ・いやこの話を書いたのは、オレもこの場所に長くいたものだとか、オレも人によって痛い目に遭い、しかしその反面捨てる神あれば拾う神ありでいろいろいいこともあったもんだ、とかいろいろ思っていたけど。ここでの経験があまりにも苦過ぎるからもういっそ別の土地に行こう、ちょっといろいろやり直そうとかまあいろいろと思っているんだけど。そうするとオレと入れ違いにその踏み台にした人が最終的に結局ここに戻ってくることになりそうだという話を聞いて、人の世というのは数奇というか。運命のいたずらみたいなものを感じずにはいられなかったという話。じゃあそもそもオレがやってきたことはすべて無意味だったということでもある。でもそれを考えてもまだ余りあるほど、人の世というのはこういう風にできてるもんなんだなあという妙にオカルトチックな感慨を感じたという。オカルト的なものは極力考えから外すようにしているけど、それでもやはりなんというか、運命というのはあるのかもなあと思わないとこれはなかなか納得できないと思ってしまったということで。







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