桃太郎からの日本語分析



 英語で桃太郎


 ということで各国語の桃太郎を分析してますが、それが英語であろうとフランス語であろうとある共通点があるということが言えると思います。我々は日本人であり日本語を使っている以上、日本語による「桃太郎」から決して逃れることはできないんですね。
 どういうことかというと。
 起承転結という感じで話が進んでいきます。そして多少ブレがあろうとも「それは桃太郎である」として認識されます。例えば、鬼が「おのれ、こしゃくな、みなのもの、であえ、であえ!」と言ったとしても言わなかったとしてもそれは「桃太郎」として認識されます。宝を持って帰って豊かに暮らそうと、そうでなかろうとやはり桃太郎は桃太郎です。
 しかし
 「おばあさんはサルに川に落とされました」
 とか、
 「イヌは桃太郎の足にかみつきました」
 「キジは一目散に逃げました」
 というような話が入ってくると途端に「あれ?」となります。


 あるいは「昔、昔あるところにおじいさんとおばあさんがいます」となると「ん……?」となります。そういう意味での答えであり、正答であるところの概念、それは既にしっかりと作られていると言えるわけです。それがあることが間違った展開や間違った言葉に対し、それは違う、それは合っていると判断を下しているといえるわけです。


 ・では英語で桃太郎を読んだ時には果たしてどうか。
 「昔、昔あるところにおじいさんとおばあさんがいます」というような話をしていないか。そこに違和感をもてるかどうか。そういう意味では、我々の真の言語能力は桃太郎に総て表されていると言えないだろうか。そういう意味では、桃太郎というのは一つの原型であり、我々の言語能力が展開されるうえでの一つのひな型であり、そこに総てが詰まっているといえないか。もっといえば、「桃太郎」というこのハードルを越えられないのに英語を語ることはできるものだろうか。そこまで言えると思うんですよね。まあ別に桃太郎でなくてもいいわけなんですけど。
 だから
「The dog bit on Momotaro's leg.」
「The monkey pushed grandmother into the river.」
 みたいな記述に対して「ん??」と思ったりとか。そういう能力は意外と重要なんじゃないかということです。


 ・言語能力というのもいくつかあるというのは確かです。
 それは野球で言えばストレートやカーブ、スライダーとかそういうように把握されるものかもしれませんし。
 あるいは一つのビンに石、砂、泥。そういうものを詰めていった先の混沌かもしれません。
 そして我々はなぜ英語ができないか。それはもう6年とか10年とかやるわけですから当然できて然るべきなんですが、それでもこれほどできないとなると、何かあるんだろうなということです。
 ビンで言えば石と砂だらけで石が入ってないせいかもしれない。
 野球で言えばストレートがない……ってことは確かですね。英語をそのままではなく、「ズーズー英語」で会得している。これはもう最初からカーブしか投げられない投手みたいなものです。これはもうハンデというか、マイナスなものを学校で覚え込ませているといってもいいでしょうね。習いに行くはずの学校でマイナスになって出てくる。これは日本人の英語への足かせと言ってもいいと思います。


 ・だからキーとなるのは、桃太郎。遊び、モノマネ。
 そういうものがもしかしたら思った以上に英語に突破口を作ってくれるのではないかと思っています。







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