反勉強力






 本当はやりたくないが、まあ仕方ないと意志の力でどうにかして机にかじりついて勉強し、成果を残す……まあ大体が勉強というものについてのイメージはこうなんじゃないだろうか。それを仕方ないものと割りきる、だからこそ「メリハリ」という言葉を作っては、やる時はやり、やらない時はやらないと決める。そういう生き方を我々は生きていくうえでなんとなく身につけさせられているように思う。しかし、もしこれが諸悪の根源であるとすれば? そこに思いが至らない。


 恐らくなぜ日本人が揃いも揃って英語ができないかというのは、この考え方であり概念と無縁ではない。たくさんある要因のうちでもこれはかなり根強いものだと言える。「メリハリ」では言語の壁は破れない。そして必要なのはその概念に代わる別のものなのだが、じゃあそれを果たして日本人は用意できるのかどうなのか。そこで思いついたのは、「小学生レベル」というのはレベルの低いものの例えで今でも用いられることがあるが、本当に必要なのは、そして勉強力に代わるものというのはもしかしてこれなのではないか。小学生にはそんな強靭な意志もなければ概念もない。しかし、彼らはどうにかしてそれを乗り切らなくてはならないという時に、案外それを乗り越えてしまえる。その時の原動力とは、けっこう遊びのノリだったりする。困難を遊ぶべきハードルにみたてて乗り切ってしまうのだ。そのパワーたるや恐ろしいものなのだが、我々は大きくなるにしたがってその要素を限りなく捨て、そこに勉強力とでもいうべきものを作って築いていく。そしてメリハリによってすべてを割り切っていこうとするのだが。


 ・今こうしてやっている外国語も、そしてこの次もそうだしその次も恐らく同じになるような気がする。しかしそのバックにあるのが常にこの「勉強力」であるのであれば、恐らくその程度のもので終わってしまうのではないか。そういう懸念がある。そしてそれはほぼ確信だといってもいいものでもある。そして、だからこそこの問題を克服すれば新しい視点を獲得できるようになり、それによって現代であり現代日本の課題が浮き彫りになるのではないか。そんな気がする。


 ・まあ結局言いたいことは、小さい子がよくやるようなモノマネ、あのノリで英語でもなんでもマネしまくって遊んで乗り切ろうぜってことです。



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