久々にミスチルを聞いてみた





 なんとなく検索してみた
 ミスチルのライブ


 いや、多分大学3年くらいまでは聞いていた気がするんだけど、それ以後ぱったりと聞かなくなってしまった。だから「HOME」くらいで最後なんじゃないかなと。なんで聞かなくなったんだろうなあと思うけど、別に嫌いになったってわけでもない。ただ急に。きっかけもなく聞かなくなったので、多分何か意味があるのかなあと思いつつ。
 ・今見てて思うのは、言葉一つひとつとか、歌の一区切りとかにしっかりと「意味」をもたせるし、そこにはストーリー性がある。だから映画とかを見るように、ミスチルを「聞く」ってのはあるんだろうなあと。だから、生真面目な性質はけっこうこれと相性が良くて、ここのまとまりはこういう意味だとか、この意味とこの意味は繋がるとか、そういう見方とけっこう相性がいい気がする。
 とはいえ、下手にそういう意味がそこにあることがわかっており、そしてそれをなぞらなくてはならないことになんとなく疲れたっていう気がする(笑)意味を拾い集めることに疲れた(笑)
 いや、それよりも何よりも、そういう意味性ってのはどこかで人の役に立ったりとか、何かヒントになったりとかあるもんだが、オレにとってはけっこう希薄だったなあと。というよりもはっきりとそういう生き方……というよりも意味のあり方、そういうものと分裂して決別して生きてきた気がするし、そうなると必然的にミスチルは聞かなくなったのかもしれない。


 ・そういや入れ替わるように尾崎豊を聞いていた。
 あの尾崎のマジメさというのは、恐らくミスチルにも相通じるものがあるのだろう。ある時なんか、授業で詩について書け(持ち込みはなんでも許可)ってのがあって、尾崎豊全詩集を持ち込んだことがあった。ところが、何をどう書くかまで考えてなかったものだから、ひどく出来の悪いものを提出して終わったもんだった。そうやって書く対象としては尾崎豊はひどく難しかった。
 多分「太陽の破片」とか「誕生」あたりについて書いたんじゃないだろうか。どういう内容かは忘れてしまったが、ただその怒涛の如く滴り落ちた冷や汗についてはよく覚えている。机から滝のように汗が滴り落ちていた……(笑)
 太陽の破片
 誕生


 ・で、話は変わってスピッツなのだが、スピッツは勉強しながら聞くのに向いているなあと。というのも、意味らしい意味をあまり追えないので、「あ、これもしかしてこういう意味があるかも」と思ってもそれが当たっていても外れていても大した意味がない。そういう意味に対する諦めみたいなものが最初からあって、いちいち聞きながら意味を追うような真似をしなくて済む。で、諦めていると時々あ、こういう意味なのかもなあ、と思いつくこともたまにはある。だから意味病(?)みたいなものからスピッツは免れているので、普通音楽聞きながら勉強はしないんだけど、余計な騒音とかからかえって防いでくれるので、勉強しながら聞くには向いていると。例えばこの「遥か」なんてのはちょうどいい。
 遥か
 見ていても全然意味が解らない。これ一体どういう意味があるんだろうか? わらしべ長者? とか思っているとそのうち、そもそもこれは意味を追いかけること自体に意味がないのではないか、となっていく。その意味に対する放棄(?)というのが恐らく心地よい。


 意味病といえばミスチル。
 それをこじらせたら尾崎豊。
 それからの解脱を考えるならスピッツがいい(多分)。





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