文化的ボケ(文化的痴呆)






 ・「楢山節考」とかいう本があったのだが、あれは意外とこの日本の文化の要所要所を衝いていた本だったように思う。
 なんとかという主人公の婆さんが姥捨て山に捨てられるという話だったのだが。
 その婆さんが作中で、年の割にきれいないい歯をもっているのだが、その歯を石で叩き折るというくだりがある。「年相応」に見られるためには、その頑丈でいい歯というのは邪魔なものでしかなかった。だからこそ石で叩き折るのだと。涙が出るほど痛い、痛いのはイヤだ、しかしこれでようやくその邪魔な歯を折ることができたと婆さんは喜ぶのだ。


 ・で、前提として我々の文化というのはその「年相応」という概念をもたされている。10代はこう、20代はこう。そして90も過ぎればこうでなくてはならないという一種の強迫観念みたいなものであり、そうでないとなると人の目を強く気にしなくてはならないものでもある。


 ・とある90の婆さんがいるのだが、その婆さんはもう100にもなろうというのに全くボケていない。そのことが上記の話のようにものすごく強い劣等感なのだ。100にも近くなればボケなくてはならない。同じ話を何度も聞かなくてはならない。そして同じ話を何度も繰り返すのだが、周囲はうんざりしていても当人は「ああ、これでようやくボケられるわ」と嬉々としているのだが、当然のことながらそれはボケているのではない。日にちがわからんわと言っているが、重要なのは本当にボケている人はそんなことをそもそも聞いたりもしない。つまりこれは何かといえば、一種の文化的ボケであり、要するに「年相応」という概念に人が取りつかれた姿であるといってもいい。


 ・以前どこかで記事になっていたのだが「痴呆は感染症である」とかいう話があった。
 なんでも、ボケた人と話すと、人には強いストレスがかかる。それでもまるでハラスメントのようにしつこく同じ話を聞くことになるので、とうとうその強いストレスと、その状況、そしてその相手と適応するために脳がボケるのだそうだ。ボケた相手とうまくやり取りするにはこっちもボケるという言ってみればそういう生存の手段を取ることでその状況をしのぎ切るのだという。そして最終的に脳を見てみれば、確かにこりゃあボケは感染症だ、と。


 ・でこれらの話を統合すると、その文化的ボケをしている側は全然ボケていない。むしろ健康なのにボケているふりをして自らを満足させるために話をする、それによってますます健康になるのだが、それを聞いている側は急速にボケる。つまり、文化的ボケと対峙している側は、そのニセのボケと対峙してそれによってボケが始まる。記憶能力は悪くなるし、物覚えがひどく悪くなる。ストレスに当たれば大きな声を出すようになる。
 しかしこれによってそれを乗り切ろうとしているのだとすれば、この状況は実に過酷だと思わざるを得ない。



 というようなことをふと思ったという話。


 ・追記だが、キレイさっぱり死にたい、どうせ死ぬならキレイに死にたいという願望というのは、多かれ少なかれ誰の心の中にもあるもののようだが、これっていうのは一歩間違えばまさに「無敵の人」になりかねない。寿命が近い人がそんなことをするものかという話だが、寿命が短いからこそ、それが分かっているからこそキレイに死にたいという気持ちはあるようである。つまりこれを突き詰めれば、「オレが死ぬときにはてめえらもきれいさっぱりにしてやるぜ」というものであり、その意味では「キレイさっぱり」の範疇というのはかなり曖昧で自他の認識に関してかなり怪しいものがあり、というよりむしろてめえらもキレイさっぱりしてやんぜというような他への影響というのをかなり意識したものだと言った方がいいと思える。自分のことならば自分である程度はなんとかできる、しかし他人のことはとかくなんともし難いものであるがために、支配的になる。これは「殉死」という概念にかなり近いものであり、オレが死ぬんだからてめえらにもその力を使ってなんかしてやるよという、プラスに見れば影響力がある。マイナスに見れば単なるお節介でしかない。そういうものがどうもかなり強力にあるらしい。
 その意味では、この「キレイ」も「死にたい」も全然生易しくはない。どのくらいのキレイさを求めるのか、どの程度いったら満足して死ぬのか、そこらへんの限度というものを見極めておかないと、とんでもないくらいにキレイになってしまいかねない。全てを「ゴミ」として燃やし尽くし、本当にきれいさっぱり自分の死と共に終焉を迎えさせる。そういうつつましやかに見えた、その実とんでもないほどの願望、いやもはや欲望と言ってもいいものがある。それというのは確かにあるのだが、しかし人によって一体どの程度のものであり、どのようなものを望んでいるかは全く違うものなので、きっちり具体的なレベルで確かめることが重要であるだろう。さもないと、とんでもない結果を招くか、最期の最期にとんでもない愚痴をぶちまけられる結果を招きかねない。


 まあそれにしても、こういう文化的なものにまつわってある……あるんだけどまあ大したことはなかろうと普段高をくくっている、そういうものに関しての人の隠れた欲望の強さというものをひしひしと感じさせられるものである。そういうものは若者がもつ欲望に比べてはるかにどぎつく、そしてもはや比較にすらもならないものだと思えてならない。




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