ということで前回は趙に集まった天下の士たちを范雎(はんしょ)が金の力でバラバラにしてしまう話でした。そんな高い志をもって集まった奴らではないと。犬の中に骨付きの肉を与えて、利害関係に持ち込めばあっさりとバラバラになるだろうと。そしてその通りにバラバラになってしまうという話でした。
ある人が應公(おうこう、范雎)に言った。
「武安君(白起)は馬服君(趙の趙括(ちょうかつ))の軍を殺戮したのか」
「その通り」
「そうなるとまた邯鄲(かんたん、趙の都)を囲んだか」
「その通り」
「趙が滅べば、秦王は天下の王になるでしょう。武安君は三公(時代によって違うようだが、周では太師・太傅・太保と言われるよう)となるでしょう。武安君は秦のために戦って勝ち、攻め取った城は七十あまりになります。
南は鄢・郢・漢中(えん・てい・かんちゅう)を滅ぼし、馬服の軍を壊滅させて、一兵として失ってはおりません(これはさすがに誇張と思われる)。周・邵・呂望(太公望である呂尚のこと)の功績といえどもこれ以上のものではありますまい。
趙が滅べば、秦王は天下の王となり、武安君は三公となるでしょう。貴公はどうしてこの下となるものでしょうか。この下になる事はなかろうと思っても、そうなることはできないでしょう。
秦はかつて韓の邢(けい)を攻め、、上黨(じょうとう)を苦しめました。上黨の民は秦には下るまいとし、皆趙に下って趙のためにしてきました。天下の民は秦の民であることを願わないということは、もともとあったことです。
今趙を攻めれば、北は燕の土地となり、東は斉になり、南は魏・楚の土地となるでしょう。そうなると秦の得るところは大したこともないでしょう。よって趙と和議を結び土地を割譲させ、これ以上武安君の功績とできなくするに越したことはありますまい」
・有名な場面ですね。
ただいい意味で有名ではなく、范雎(はんしょ)が自身の身を危うく思い、白起に急ブレーキをかけさせ、そのことを不審に思った白起が以後働くことをやめてしまうという意味で有名です。白起にこのまま活躍させていれば、上役である范雎、宰相である范雎はその地位がおびやかされかねない。だから活躍させないというのは、戦国策らしい処世術であり知恵があり、いかにも戦国策らしいくだりだなと思います。
・ただこれには致命的な欠点があり、これからそう遠くない未来に秦は天下統一を果たします。全ての土地を取ってしまえばこの人の言うことも的を外れることになる、そこまで思い至らなかったというのはあるのかなと。まあその時全人民は秦の下はいやだということで大規模な争乱になり、それが漢を作る原動力になるわけですが。だから半分正しく、半分間違っているなということを思います。
・ということでその戦国策らしい知恵のくだりに戻りますが、白起のような天才がいて、その人に活躍させないのも大切です。白起がいて活躍し続ければ、皆かすんでしまう。そういうバランス感覚はあるし、この後白起は自刃して果てることとなります。しかしそんなことを続けていれば、そもそも秦は中華統一どころではなかったでしょう。それが他の国の内情であり、呉起がいても活用できなかった魏であり、また呉起を殺した楚でもあります。足を引っ張るということがいかに有効で、いかに発展性がなく、しかし自分の身の安全を保つものか。
・最終的に秦は他の国を全て滅ぼします。それができるだけの実力があったということでもありますが、それに拮抗できるだけの実力を他の国が全く蓄えていなかったからだとも言えます。そしてこれはつまり、アクセルとブレーキとがあった際にアクセルがブレーキの方を上回ったためだとも言えます。いろいろな天才がいましたが、それらはみんな死にながらもそれでも天下統一することができた。いってみれば、1速や2速であってもクリアできるくらいにそれが妥当であり必然的なものであり、低いものとなった、その時にその必然性を追うような形でムリなく天下統一できたのだと。
こういう勝ち方こそ戦国策から導き出される当然の、また妥当な帰結ではないかと思います。
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