新戦国策秦5-7、范雎(はんしょ)が平原君の本質を指摘する話






 ということで前回は范雎(はんしょ)が韓を張儀を口実にして攻めようという話でした。しかし、張儀が一体この時何歳なんだと。ちょっといろいろ違和感がありますが、しかしいろいろ覆るのが歴史でもありますから、案外まだまだ健在でその後も活躍し続けたという可能性もないわけではないのかなと。とはいえそうなると張儀のその後がありそうなものですから、やはりちょっといろいろ違和感のある話でした。


 應公(范雎)は言った。
 「鄭の人は玉がまだ収められていないものを称して『璞(ぼく)』と呼び、周の人はネズミの乾物がまだできていないものを称して『樸(ぼく)』と呼びます。
 周の人がこの『樸』をもって鄭の商人のところに言って、
 『樸を買いたいと思ってますか
 と言いました。
 『欲しい』
 と言ったので樸を示してみたら、これがネズミであったと。これで謝罪して受け取りませんでした。


 今平原君は賢明であることをもって名を天下に広く知らしめております。
 しかれども、その主父(しゅほ、武霊王)を沙丘(さきゅう、武霊王が押し込まれ餓死した場所)に追いやっておいて、これを臣の行いとしております。天下の王はなお名を尊んでおりますが、しかし天下の王は鄭の商人の知恵ほどもありません。名前に目がくらんでその実情を知らないのであります


 ・平原君=「賢明」というイメージがあるものの、しかし本当に賢明であるのであれば、武霊王が餓死するような事態は絶対に避けたはずなのに、それを避けることができなかった。それでいて「賢明」とは片腹痛いわ、というのがここでの范雎の言わんとすることでしょう。平原君と言えば賢明、というだけでなく、そういう事態が起きた時にその程度の対処しかできなかった。その程度の対処能力なのに、「賢明」とは一体どういうことかと。
 そういう意味での痛烈な皮肉であることと、それを言えるだけの范雎の事態を見通す能力を表しているといえる話でしょう。








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