年功序列主義





 年功序列制度、なんてのはありましたが。つまり早く入ったヤツが経験も知識も豊富で偉い、というものだし、時間と年数は経っていくのでほっとけば偉くなると。そういう制度ですね。ふと思ったのは、自衛隊ってのはものすごくきっちり階級ってのがあって、これははっきりと偉さを規定していたなと思うし、それに人が素直に従うところもあったなと思うわけです。長いこと下の階級でもやってるってのは、それはそれで年功序列的に解釈され、要するに偉いな、とこうなる。そしてその年数の長さってのはかなり尊重、あるいは尊敬されたりするわけです。それとは別に早く出世するやつもいるわけですが、その2つを区分するならば、名目的偉さがこの後者であり、どこかそこには成りあがったヤツとかラッキーにめぐまれたヤツというニュアンスが含まれていた、がまあ基本的にそれは悪いものではないと。そして実質的偉さというのがこの年功序列的に把握される前者というわけで、この人は本当の意味での尊敬を勝ち取っていたように思います。我々の解釈は、明らかに「やや」この年功序列的な偉さという方向へと傾いていた。


 ・そういう風な把握をして自衛隊外に出ると、そういう柱に当たるものがないがためにかなり整然としておらず、自由というよりは混沌としているという印象を受けるわけです。実質的偉さだって、テキトーにやっていても時間は流れて偉くなる。だから経験や知識というものは伴わなくても、むしろなくても、偉いということが起こる。下手すれば混乱を招いている張本人は偉いから対象外なんだけど、でもその混乱は下っ端で解消しなくてはならない。そうした現象が起こる。そうしたことが起こる時に何を思うかと言えば、結局日本の根幹を為すものというのは年功序列制度なんだなと。あまりにもそれがすごかったがために、年功序列制度なんてものは実質的にないんだけど、それでもその幻想に人々がすがっている、それどころか踊らされている。そういう現象が起こる。
 例えば混乱の解消をしようと思ったとしても、その権限がないと。偉い人が混乱を招いていたとしても、その偉さというのは永久不可侵であるべきだし、解釈する人によってはその範囲がとてつもなく広がってしまうというような現象が起きる。要するに、張本人がそのしりぬぐいをしている相手に責任をなすりつけることもあれば、「お前が死ねばすべては丸く収まるんだ」というようなことを平気で言ったりする。この根拠は何かといえば、ありもしない幻想としての年功序列制度だったりする。あるいは逆に、「偉い」人に言えるということは誇らしい。軽度な下剋上であり、つまらない日常を破るための刺激源としてはこの制度に対して反旗を翻すというのはなかなかにスリリングでおもしろい……のだが、自らの生殺与奪権を握っている相手に対しては当然刃向かったりしない。つまり、上に対しても下に対してもろくな効果を発揮しない、発揮していないのがこの年功序列という幻想であるといえる。まあ幻想と言っている通りでそんなものは実質的にはないんだけれど、それは実質的にない「だけ」であって、幻想的にはちゃんと存在していたりするし、それが「共通了解」……という名前の実は人によって全然バラバラなもの……としてあったりする。まあここまでくると年功序列も「百害あって一利なし」なので、とっとと撤廃されるべきだと思うが、しかしこれが完全に撤廃されると……もうすでにないのだが、しかし幻想にすがるというその権利すらも失うことになってしまうと、じゃあ一体何を基準としてこの社会というものに接していけばいいかわからないというような事態が生じてしまう。そうなると我々にはこれを捨て去ることはできない。だからこそこの幻想としての年功序列というのは老若男女問わず、とてつもなく根強い一種の概念であると言えるだろう。


 ・でも本当に大事なのは、それを捨て去ったらどういう風に生きていったらいいかわからないという強烈な不安の裏返しとしての、か細い自信の拠り所として利用されているだけなので、もっと早く日本社会変わっていってくれねえかなー、と思ったりしている。








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