政治とは何であるか






 ・政治が混迷を極めて久しい。自民党、特に菅政権になってからというもの答弁から何から何に至るまで悲惨な有様であり、コロナ死者は15000人を突破した。つまりは東日本大震災並みの人が死んでいるわけだが、一気に死ねば大変だとなるのに対し、コツコツと死んでいればそうはならない。つまり、緊急性の高いものは扱われるが、重要性の高いものは扱われないのが今の日本の現状であるらしい。
 「自民党は菅首相は一体何をやっとるんだ!!!」という話だが、まあそれを選んだのは国民であるわけだし、それを言うならじゃあみんなで協力して別の人を選びましょうよ、という話になる。


 ・そもそも「何をやっとるんだ!」という話だが、何をやってるかわからない高尚な人よりは「こんにちはぼくガースーです」みたいな人を選んできた経緯というのはある。我々は無意識のうちに他者によりアホであれ、愚かであれと期待してきた。高尚で一体何をやっているかわからないというその愚かコンプレックスを触発されるよりは、そういううざったいことのない一見してアホな人を期待してきたし、今だって期待している。小泉進次郎のようないかにもすごそうなことを言っていながら実は何も言っていないという「アホさ加減」が買われて未だに大臣しているっていうのもある。それを期待し選んできたのは我々だし、そこに投影されているのは我々の願望であり、欲望であると言っていい。


 ・他者に自分よりも愚かであれ、よりアホであれということを期待したい願望というのは別に政治家だけの話ではない。隣人をよりアホであれと願う。他者が露骨にアホであれば自分はコンプレックスを刺激されないし、いやな汗をかく必要もなければ後ろでせっせとつまらんことをして勉強しなくてはならないということもない。他者がアホであれば人生がラクなのだ。これの行き着く先はなにかといえば、愚民政策である。
 我々は根本的に愚民政策がなされて欲しい、だけど自分だけはその対象外であって欲しい、優越感が欲しい、それどころかエリートでありたいと思っている。他者一般への不幸を望み、そうでありながらも自分への幸福は願う。極めて自分勝手な生き物、それが我々だといえる。


 ・人それぞれ専門性は違っていい、というより違って然るべきである。それを敢えて自分の物差しをそこに置いて、「自分以外アホ」とやっている。この事に対する責任は別にない。いやなかった。ところが今やコロナ禍で15000人が死んでおり、恐らくまだまだ増え続けるだろう。 
 なぜ死ぬか。コロナを甘く見ているから。いやそれだけではない、コロナを甘く見ていて欲しいからだ。人がコロナを舐め切って、愚かなふるまいをし、そしてコロナにかかり、かかったヤツを捕まえては「バカなやつだ」と言いたいがためだ。かかっていない自分はそうではない、オレはエリートだ、素晴らしい、とこうなる。しかしその人間がコロナにかからない保証はない。それどころか恐らくはそう遠くない未来にかかって苦しむことになるだろう。
 なぜか。他人に愚かさを望んだためだ。


 ・政治とは何か、何ものであるかといえば突き詰めると人に行き着くと思う。人が人に何を求めているか、それが如実に反映されているのが政治だ。人に愚かさを求め、自分には選民意識を求める、そんな甘ったれた市民性ではコロナは解消されない。というより、コロナ禍で苦しむことを選んでいるのは我々だ。
 我々自身の他者へ愚かさを望むというその愚かさ、それがコロナという野火にガソリンを投入する最も大なる要因であると考える。







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