新戦国策秦5-2-3、范雎(はんしょ)が昭襄王に話すという話






 ということで今回もまた続きです。今回で最後ですね。


 「(五帝は聖人でしたが死にました。三王は仁でしたが死にました。五覇は賢でしたが死にました。烏獲(うかく、秦将で秦の武王と力比べをした剛力の士)は剛力でしたが死にました。奔育(ほんいく、これも剛力の士)は勇猛でしたが死にました。死とは人の免れることのできないものであります。死への当然の流れに対して少しでも秦の力を補うことができれば、これこそがこの臣の願いとするところであります)
 そうであれば、臣は何を憂えることがありましょうか。
 伍子胥(ごししょ)は魏で(実際は楚)罪を追った際に身を袋に入れて車の上に乗り、楚の昭関(しょうかん)を出て、夜に行き昼は寝て、蔆水(りょうすい)にたどり着きましたが、その時食べるものがありませんでした。腹ばいになって食事は呉の市場で乞いておりましたが、とうとう呉国を興し、闔閭(こうりょ)は覇王となりました。
 この臣にはかりごとを巡らせ伍子胥の如くさせるならば、伍子胥の苦しみにさらには虜囚として終身牢屋の中であることを加え、再びまみえることがなかろうともこれによってこの臣の説が行われるならば、何を憂えることがありましょうか。


 箕子・接輿(きし・せつよ、箕子は朝鮮で箕子朝鮮を建国した。接輿は狂人を装ったことで有名。二人とも国を憂えるあまりに狂人となった)は身にうるしを塗ってらい病となり、髪を振り乱して狂人となろうとも、殷・楚には利益がありませんでした(何も効果がなかった)。この臣に行いを箕子・接輿と同じにさせ、賢君の行いを補うことができれば、これはこの臣の光栄であり、何を恥じることがありましょうか。


 この臣が恐れるのは、ただ一つ、臣が死んだ後に天下がこの臣が忠義を尽くして倒れたのを見て、黙して進むことなく、敢えて秦のためにやろうと立ち向かうことがなくなることです。お上である太后を恐れ、下は奸臣に媚びへつらい、宮殿の内にあってお守り役の女性の手から離れることがなくなる。終身よくわからぬまま、家臣の中にも相談役となってくれる者も出てこぬまま、大きいものでは宗廟が絶え、小さいものでは孤立する。これこそが臣の恐れるものであります。
 このような屈辱のこと、死亡する恐れのごときものはこの臣の恐れるものではありません。この臣が死んで臣が治まるのであれば、それは生きる事にも優ります」


 ・最後にちらっと言っていますが、この秦の本当の憂慮すべき内容ですね。王よりも太后の方が地位も権力も上になっている。このことをほのめかすようにして言っています。たったこれだけでも、王にとってはこの人が言おうとしている内容がいかに核心に迫っているのかがわかるのでしょう。


 ・少し話は違いますが、「アマラとカマラ」という話があります。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%81%A8%E3%82%AB%E3%83%9E%E3%83%A9
 よく教育学などで用いられることの多い話です。インドで狼に育てられた姉妹がおり、保護されたと。ただしいろいろ捏造の話も絶えない話ではありますが。

 この昭襄王も、一応王だしそれも秦という中華一の実力を持つ王と言ってもいい王なわけですが、ところが実は太后や魏冄(ぎぜん)らによって実権は握られていた。そして家臣たちは太后や魏冄の顔色を窺っており、王はいながらも家臣たちはあくまでも王ではなく、太后たちを中心として宮廷が成り立っていたわけです。つまり、王の顔色を重んじる必要はなかった。それどころか都合が良ければニセ情報でもよかったという可能性はあります。王はかくして王でありながらも孤立していた。その孤立した王を救出しに来た、あるいは救いの手を伸べにきたのが范雎であるという話も成り立つのではと思います。




この記事へのコメント

にほんブログ村 ゲームブログ ゲーム評論・レビューへ
にほんブログ村

パソコンランキング