攻撃力と防御力(バビロンの大富豪)






 ふと思った。
 バビロン大富豪の教えを具体的に表していくとどうなるか、といえばその先ではお金に対しての感が合え型が確かに磨かれる。では磨かれるということをさらに詰めていくとどうなるか、恐らくは攻撃力と防御力的なものとして表わされることになる。例えば、貯まったお金で何をするかと言ったら攻めの姿勢しかなければ計画性もなにもなく、これこれのために使うとなってパーッとなくなるだろう。それが単なる消費でなく、気晴らしでもなく、かといって計画性の上でも貯蓄することを何も考えず使っていたら、恐らくはいずれも失敗する。それで単発的に成功したとしても、恐らくその味を占めた攻めの姿勢はコケるまで続くことになる。
 ではそうではなく、堅実にいきましょう、できる限り多い額を貯蓄しましょう、貯金していれば間違いないとやっていれば、それは攻撃ではなく防御に大きく振っていることになるだろうが、それも完全な正解だとは言い難い。それどころか、大いなる資産を残して安心していても、子孫がその遺産を当てにしているようにもっていっているとすれば、遺産は残ったもはや親族が殺し合うため、仲違いを引き起こすための起爆剤でしかない。つまりは何か、攻撃力と防御力、攻撃と防御、攻めの姿勢と守りの姿勢、攻めの概念と守りの概念、行くところはガッといってチャンスを掴み、かといって失敗して痛手を広げないための工夫は必要、そうした一切を伸ばしていくことが求められる。つまりはレベルを上げる事だ。これによって攻撃の姿勢も守りの姿勢も共に伸ばすことが求められる。攻撃だけ、あるいは防御だけで完成するということはあり得ない。結局は何かといえば、攻めだけ、あるいは防御だけでまるで磨かれていない……限りなく0に近い攻撃力と防御力を我々は持たされている、言い換えれば無防備だ、それを強烈に意識するべきだということ。そしてだからこそ、我々はレベルを上げて両者を伸ばすよう心掛けて行かなくてはならないということ。それはつまり金にまつわる攻撃力と防御力ということ。


 例えば宝くじは数学的にはバカな結論であっても、現実的にはけっこう意外と妥当な、しかも意外と夢をもしかして叶えてくれるかもしれないものであるということ。でもこれの期待値はものすごく低くて、この低さに対するに熱烈な期待がある……というのはつまり何かといえば、じゃあ本当に宝くじが当たったからと言ってそういう過程を経てきている者がその先の金はともかく、その先を果たして本当に手に入れる資格があるのか、それを問われているのではないか。というより、本当に問われているのはそれではないのか。真の意味で攻撃力と防御力とを兼ね備えており、それに振り回されることなく、妥当な使途に妥当に使える。別に利子で生活していけるというのであれば、全額貯金して利子だけでというのも全然妥当な方法ではあるだろう。そういう妥当な計画性であり、それはつまり妥当に攻撃力と防御力とを兼ね備えているのか、それが常に問われているのではないか。
 金に対する概念が大きく変容している昨今ではあるが、これの持つ意味というのは古今東西を問わず決してバカにならないものがある、ということをふと思った。




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