新戦国策秦5-2ー1、范雎(はんしょ)が昭襄王と謁見する話






 ということで前回、前々回と范雎(はんしょ)が秦王に宛てた書簡の内容でしたが、これによって范雎に会うことを決意したというくだりでした。これから当分范雎の内容が続きます。
 いかに范雎という人が秦にとって影響が大きかったかということをこれは物語るものだと言えます。魏冄(ぎぜん)らによる王のない状態、好き勝手する状態が続いていたわけですが、范雎がこれを打開した、というだけならそのくだりで終わると思いますが、そうではないと。それを思えば、戦国策としても范雎という人は見どころの多い人なのでしょう。

 今回も長いので、三回でやろうと思っています。


 范雎(はんしょ)が来た。秦王は堂を降りて庭に出迎えて言った。
 「私は自ら教えを乞うことになって久しくなりました。
 義渠(ぎきょ、秦の北方の異民族)のことが急にありましたので(注によると、義渠の王が秦の太后と密通し二子を生んだと。ところが太后がその王を裏切って甘泉(かんせん)で殺害し、とうとう義渠を滅ぼしてしまったという)、私は自ら太后の指図を受けておりまして、多忙を極めておりました。自ら己の不幸を思って哀れんでおりました。今ここに、謹んで賓客としての礼を取ろうと思います


 范雎は礼をした。この日范雎に会った者で、王の范雎への対応を見て色を変えなかった者はいなかった。秦王は左右の者を遠ざけた。宮中は虚しくなり、人はいなくなった。秦王はひざまずいて教えを乞うて言った。
 「先生は一体何をもってこの私に教えてくださるのでしょうか」
 范雎は「はいはい」と言った。
 しばらくあって、秦王はまた聞いた。范雎は「はいはい」と言った。このようにすることが三回に及んだ。
 秦王はひざまずいて言った。
 「先生、私にお教えしてくださらないのか」
 范雎は謝罪して言った。
 「そうではありません。
 この臣はこのように聞いております。かつて呂尚(りょしょう)が文王に会った時には、ただ漁夫となって、渭水(いすい)の北で釣りをしていただけでした。そのようなものは、国君と漁夫ですから交わりはないに等しいものであったでしょう。


 ・「はいはい」のくだりですが、原文では「唯々諾々」の「唯々」ですね。
  唯々諾々が「何事にもはいはいと従うさま、人のいいなりになるさま」ということですから、まさにこの場面は唯々諾々という感じなのでしょう。


 ・呂尚(りょしょう)は太公望(たいこうぼう)として有名です。
 殷(いん)王朝を倒したのが周王朝になりますが、この周の武王を補佐したのがこの呂尚であると。
 この呂尚の話を、自らの秦王への謁見となぞらえているわけですね。


 ・義渠(ぎきょ)の話が大変にショッキングな話ですが、あまり聞いたことはありません。
 そもそも太后というのは宣太后でしょうか。どうも普通に話が進んでいくことがちょっと奇妙な印象を受けるほどの話です。









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