新戦国策秦4ー3、樓緩(ろうかん)が秦王に聞かれてさらっとかわす話






 ということで前回は獻則(けんそく、獻は献の旧字)が公孫消(こうそんしょう)に太后である宣太后にゴマ擦っとけと言う話でした。ゴマすりしないと身が危うい、出世が遠いということもありますが、一番問題なのはそうしないと成り立たないこの秦の内部の群雄割拠状態が一番危ういという話でした。


 韓・魏・斉の三国が秦を攻めて函谷(関)に入った。
 秦王は樓緩(ろうかん、樓は楼の旧字体)に言った。
 「三国の兵が深く入っている。私は河東の土地を割いて講和しようと思っている」
 これに答えた。
 「河東を割くのは大いなる損失です。国難を免れることができるのは大利だと言えます。こういう大事を解決するのは公族や元老の責務であります。王はどうして公子である池(ち)を召し出してこれを問わないのですか」

 王は召し出してこれを聞いた。
 これに答えた。
 「講和しても悔い、しなくても悔いることとなりましょう」
 「なぜだ」
 「王が河東の地を割くこととなれば三国が去っても王は必ずや言うでしょう。
 『惜しいことだ。放っておいても去っただろうところへわざわざ三城もやってしまった』

 しかし講和しなければ三国は函谷関に入っていますから咸陽(かんよう)が危うくなりましょう。そうなるとまた王は言うことになります。
 『惜しいことだ。なぜ三城を惜しんでさっさと講和しなかったのだろうか』
 これが講和しなかった場合の後悔です」


 王は言った。
 「どちらにせよ等しく悔いることとなるのであれば、三城を失って悔いようとも、咸陽を失って悔いてはならん。
 私の腹は決まった」
 こうして公子池をやって三国に講和させたのである。そして三国の兵は退いたのである。


 ・これ調べるといろいろわかることがありますね。
 強国である秦が負けたというのが珍しいなと思ったのですが、これ合従攻秦の戦いというそうです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E5%BE%93%E6%94%BB%E7%A7%A6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
 そして四回あったようですが、いずれも秦は函谷関を破られていない。となると、この原文にある「函谷に入る」という表現は、いかにも函谷関の内に入ったかのような印象ですが、実際には秦はそこまで大敗したことはないと。非常に紛らわしい。しかし「咸陽を狙われている」という話からすると、どうもやはり戦国策中では「函谷関は破られた」という話になっていると考えた方が自然なんだろうなと思います。


 ・それと重要なのは、昭襄王が王位に就けたのは趙の武霊王の力添えがあったということが重要でしょう。国内では魏冄(ぎぜん)が力添えしていますが、まあ何しろ先代の武王が死んだのが急だったので、みんながあれやこれやして早めに王位に就けてやる必要があったと。そのため、昭襄王は魏冄にも自分が王位になるようにしてくれた趙にも頭が上がりません。それで時間が経つにつれて武霊王が死んだりしていくうちに昭襄王が発言権を持つようになったというわけですね。


 ・それとこの話ですが、秦王が宰相である樓緩(ろうかん)という男を召し出して話を聞こうと思ったら
 「こういう重要な話は身内とか元老とか呼んで話をするのが一番です。どうして公子池(ち)に話をしないのですか」
 と言われたということですが。
 これ、樓緩からすれば陥れられかねない非常に危ういやり取りだったようです。
 どう陥れられるかということは非常に難しいですが。
 恐らくこの公子池の考えは当然として樓緩も思っていたはずです。しかしそれを切り出して「三国に土地をあげましょう」とやれば「あいつは売国奴だ」ということで処刑されかねない。
 「咸陽が陥落しかねない」なんていえば「咸陽が落ちるとか不吉なことを言うヤツだ」ということで処刑されかねない。それでなくてもこの時代は秦王の地位が下がっており、宣太后、魏冄、羋戎(びじゅう)といろいろ有力な者がいたわけです。秦王にとってはよくても、どこでどう足を救われるかわからない。讒言などどのような形でもあり得たわけです。


 そうした背景を思えば、この樓緩が「身内に聞かれては」と言ってかわした、このかわし方が非常に見事であると言えるのと同時に、普通の話であり宰相として普通の助言ですら容易に話せないという秦の宮中の異常の方を表しているのかもしれません。




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