ということで前回は秦で味方のはずのある人が甘茂の失敗を画策し、一生懸命工作して回るという話でした。
ある意味では人のしょうもなさをとてもよく表しているくだりかなと思います(笑)
秦王が甘茂に言った。
「楚より来たる使者は全く屈強な弁士が多い。議論しても私はたびたび窮地に陥ってしまう。どうすればよいのだろう」
甘茂が言った。
「王に置かれましては、これを憂いに思いますな。そういう者が使者としてやってくれば、王は使者としての要件は聞かれますな。貧弱な者が来たら、王は必ずこの者に聞くようにしてください。そうすれば貧弱な者が用いられるようになり、強健な者は用いられなくなりましょう。
王はこのようにして制御し、勝ちを得られるべきです」
・この武王は四年ほどしか王をやってないのですが、力自慢が大好きということで有名です。その結果脛の骨を折って死んだということも有名です。
その王が楚から屈強な者が来て威厳をもって話すのが苦手だというのは意外な気もしますが、案外そういう気質だから力自慢を好むようになったというのはあるのかもしれません。そして過ぎたるは猶及ばざるが如しということになり、結果死んでしまうことになると。
この王にもそういう意外な一面があるということは見どころかなと。
・甘茂が屈強な者は相手にするなということを示したということから、甘茂の非凡さが垣間見えるように思います。これはいわゆる解決なのでしょうが、「制する」「場を制圧する」、それによって事態を解決するという甘茂の考え方の一面を示しているもののように思います。分の悪い相手は、そもそも相手にしない。相手にしなければ分は悪くとも負けることはない。そういう負けない戦いというのが信条だったのではないかなと思います。
それを思えば、宜陽というのは要塞であり堅城だったかもしれませんが、甘茂の目からすれば決して勝てない戦いではない、そういう目で見ていたように思いますし、そもそも勝機を見出していなければすぐに撤退することを選べる将軍だったのかなというように思います。
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