新戦国策秦3-10、味方であるはずのある人が、なんとしても甘茂の宜陽攻略を失敗させようと画策する話






 ということで前回は楚と韓とが同盟して恐れる王に、甘茂が説明してみせるという話でした。


 宜陽の役で、ある人が楊達・公孫顯(ようだつ・こうそんけん。二人とも秦の人。顯は顕の旧字体)に言った。
 「貴公のために五万の兵で西周を攻めてみせましょう。これによって九鼎(きゅうてい、当時の玉璽のようなものだが、規模は巨大)を手に入れれば甘茂の功績を抑えることができるでしょう。もしこれがうまくいかなかったとしても、秦が西周を攻めれば天下がこれを憎むこととなり、諸侯が韓を救う流れは一挙に高まりましょう。そうすれば甘茂の事業は失敗するでしょう」


 ・まずこの頃、東周と西周という国があったわけですが。
 東周はいわゆる「周」の王朝を引き継ぐものであり、本筋だといえます。西周というのは、もともと周は「西周」だったわけですがこれが東周となっています。そして、そういう流れとは別の「西周」という国ができています。
 で、この話も西周を攻めればという話になっていますが、これをどう捉えるかですが、多分これ西周だろうと東周だろうとどうでもよかったという可能性があるかなと。とりあえず言いたいのは「周を」ということであり、別に西周と言っていようといいたいことは伝わる。そういう感じがあるのかなと。ただ「九鼎」があるのは東周なので、西周を実際に攻めても手に入れられないということはありそうですが。


 ・九鼎(きゅうてい)は以前にも出ました。いわゆる玉璽みたいなものですね。玉璽は印ですが、九鼎は九個の鼎ということになるので威厳はあるかもしれませんが、とてつもない規模になります。後に秦が東周から奪って持って帰ろうとしたら船が沈んで没したということなので、とてつもない重量もあったようです。そんなものを抱えていくというのは大変なので、玉璽が作られることになったと。そういう事情があるようです。


 ・さて。
 この話ですが非常に奇妙なのは「ある人」は秦の人のようです。味方であるはずの甘茂の宜陽攻略をやめさせようと思っている勢力は以前にもあげました。樗里疾・公孫衍(ちょりしつ・こうそんえん)という二将軍であり、韓の外戚の二人ですね。この二人は甘茂の宜陽攻略をやめさせようとしていました。
 しかしこれはそれとは違います。甘茂に勝たれては甘茂の地位が上がってしまう。そうなる前になんとしても阻止せねば。どんな手を使っても阻止することが重要だとする甘茂の反対勢力とでもいうべき勢力です。国のことを思えば当然宜陽が攻略できれば国力は増すので、この人はそういうことはどうでもいい、それ以上に自分の地位の方が大切だというような人だということがわかります。戦国策の書かれ方、この流れからすると、張儀という可能性を考えましたが、張儀は武王と不仲だったので魏に行ってもう死んでいると考えていいと思います。書かれた当初は匿名でも「ああ、あいつか」と当然わかる人だったのかもしれませんが、今となっては誰であるかは知りようがありません。


 ・こういう得体のしれない、とにかく味方の失敗を狙う勢力がいるということも重要でしょう。国の発展は、それによって給料が上がるかもしれませんし、甘茂の成功によって結果的に給料が上がるかもしれませんが、それはそれ、とにかく味方の失敗を願う人もいるということです。理屈ではない、とにかく味方の失敗が第一であるという勢力はある。出る杭は打ち、足は引っ張るものだという勢力があると。理屈云々とか狙いとか話せばわかるというのではない、とにかく味方に不利益をもたらさなければ収まらない勢力というのはいる。そして得てして失敗しるのはこういう勢力のことを無視したり軽視したりした時に起こるものです。


 人の人たる所以は、これ……つまり「砂漠のサソリ」みたいなものだと私は考えます。
 羊の背に乗ってサソリが川を渡ります。
 「お前を刺したらオレだって死ぬじゃないか」
 そういって川を渡り始めると、サソリが羊の背を刺す。
 これによって利益は何もなくなり、それどころか両者に、刺した自分にさえ不利益が訪れる事となります。しかしそれでも人はその最悪な選択をしてしまえる。ある意味ではそういう自由すらある、それが人間だとすらいえるかも知れません。


 理屈に乗っ取って、筋道立てて考えるということは大切です。
 しかしそれすらも真実に到達する一手段でしかないということが重要だと言えるでしょう。




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