漢文の話(韓で、親切な冠係(典冠)が寝てる王に布団かけて処罰される話)






 ふと思い出したのがこの話。
 有名な話ですが、高校の漢文の授業で出てくる話なので知られている話だと思います。これ、韓の話でしかも韓非子に載っているんですね。ちょっと韓非子読んでみようかなという気になりました。


 ざっと話せば、王がうたたねしてたんで、気になった冠係が王に布団掛けます。
 起きてみると自分に布団掛けてあるんで、おい、誰がかけたんだと嬉しげに言うわけですが、側近は「冠係がかけました」と答えます。
 そこで王は冠係を処罰し、衣服の係の者も罰したんだと。
 衣服の係の者は当然すべき自分の仕事をしなかったから怠慢で処罰されたわけですが、冠係の者はどうして処罰されたのかといえば、それは人の仕事を奪ったからだと。親切だったかもしれませんが、だからといってその罪は決して軽いものではない、というより重い。ざっとこういう話になります。


 ・これってけっこう今でも生きる話だと思います。
 例えば、ゴミの話とか出てくるとする。親切な人は職場の序列とか気にしないで「ああボクがやりますよ」とかいってやってしまう。誰かがしないといけない仕事があり、誰かやっても同じで片付く。ならば問題になりそうだし、問題になるその前に自分がやりますよ、なんてやってしまう。事実これってあっさり片付いてしまう話なんです。
 にもかかわらずこれっていうのはけっこう厄介な問題を引き起こしかねない問題でもあるわけです。これによってその親切な人はクビに追い込まれかねないような事態になり得る、それどころか職場に大きな亀裂を生みかねない問題でもある。その危険性にピクっと来る方はその感覚重要だと思います。


 ・答え合わせすると、そこそこ偉い人がそういうことをすると、なんだ序列とか気にしないでいいじゃんとなりかねない、そうなると「偉い人も細かいところを下に任せずに自分でやれよな」という空気感を作ります。下々の者が叛乱を起こしてもいい、憎んでもいい、睨んでもいい、それは仕方がない、上のヤツが悪いという空気感になる。上の奴らもふんぞりかえってないでやれよということになると、対立が生まれる。そうなると、誰も居心地が悪いということになる。じゃあ誰が悪いのかといえば、その親切なやつが諸悪の根源だとなりかねない。そうなると、職場としてはその人をできるだけ雰囲気の悪い状態に追い込んでいき退職せざるを得ないように仕向けるしかない。そして「あいつがすべて悪かった」ということで一件落着、そしてゴミをかたしたり気遣いして最もよくやっていたその人が実際には最も憎まれるべき相手であり、ゴミどころか職場の憎しみを一身に受けて排除されなくてはならない最も危険な人である、ということはちょいちょいあることです。
 これっていうのはけっこう他にもあって、偉い人の重要アイテムがゴミ箱に入っててそれを捨てた下っ端が「なんでゴミ箱のゴミ捨ててんだよ」ということで憎まれ役になる……というより憎まれなくてはことが収まらないようになるということもちょいちょいあります。いや、いくらなんでもゴミ箱にゴミ以外のもの捨てるなよという話ですが、何が重要かって、そうやって人身御供を作って処刑し平和を生み出すという慣習が日本には根強くあるということです。そして何が悪いって、そういうことに配慮しないで何かをする……解決するということが本当にいいことなのかということです。
 こうしてみていくと先の冠係(典冠(てんかん)というそうですが)が罰せられる理由というのは十分にあります。人の仕事を奪うということがいかに悪いことか。自分の持ち分を離れてまで尽くすべきことであり、王を思う気持ちであり、親切心というのはよくわかります。しかしそれによって「分」、自分の持ち分を越えるということはどうなのかといえば、総合的には害をもたらします。きちんと守るべき秩序があり、それを逸脱するのが当たり前。そういうことをやっていくと、誰かが死にます。守るべきことがグダグダになり、いや、前回あの仕事は大前がやっただろ? となりサボるヤツと損するヤツが出てくる。サボるヤツとしてはサボっていても誰かがやってくれるし、それどころか「あいつがいつもやってました」と責任を押し付けることもできる。こうなるともう誰かが死なないと収まらない事態に陥りかねません。それは現代の事情からも十分に察せられます。だからこそ、それを察して韓の昭候が先んじて親切なその冠係(親切な人というのがキーですね)を処罰したと。


 ・「解決」という意味では(正確には対処と言いたいんですが)、問題解決というのは誰がやっても同じではあります。問題が起こっており、その問題が片付けられる。それだけの意味でしかありません。
 しかしそうではないんだと。
 誰が片付けるか、誰がそのことに関わらなくてもよいのか、そういうことを軽視してただ問題に飛びつき「解決」などと言っていると、問題解決のために人が死にかねないような事態に陥りかねません。
 例えば「ボスはオレに任せてくれ」って言われているのに、その言葉を無視して親切な人は「手を煩わせても悪いからオレがやってしまおう」なんて勝手にやって話をこじらせたりして、「よくもオレのメンツを潰しやがったな!」と怒られるようなことになったりします(〇マサガ2ネタですね(笑))もうこうなると親切というのは美徳でもなんでもありません。トラブルメーカーでしかない。


 「親切」は「親を切る」と書きますけども(笑)、いろいろいわれはありますが、ここで考えてみますとこれは自分の腹ではないわけです。かといって親のみが腹を切るというのもおかしな話です。
 恐らくはこれの意味というのは自分だけの腹を切るだけでは済まないほどに事態を悪化させる、そういう意味を含んだものだと言えますまいか。親の腹を切らせるような深刻な事態にまで至ってようやくおさまるような非常に深刻な危うい事態を招きかねない、それこそが「親切」のもつ半面であり、あるいは原義ではなかろうか。と書いて終わることにします。


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