新戦国策2-10、司馬錯(しばさく)が張儀に対抗して惠王に意見をする話






 ということで前回は公孫衍(こうそんえん)が義渠(ぎきょ)というオルドス地方の君主に話しかけて、秦軍に一泡吹かせてやるというお話でした。秦は弱ったら贈り物を送ってくるぞと言っておく。そうしたら贈り物が届いた。なので攻撃した。
 贈り物を送ったら攻撃されるとかたまらんだろという感じですね(笑)
 今回も長いですね。
 長いので3つに分けました。
 張儀、司馬錯、まとめの順です。


 司馬錯(しばさく)が張儀と秦の惠王の前で争論した。
 (この状況は、秦が苴(しょ、葭萌(かぼう)という名で知られている。劉備が後に劉璋に頼まれて張魯討伐のために駐留した)と蜀とを同時に攻めており、それぞれが秦に援軍を求めているという時に、韓が秦に侵攻してきたという状況)
 司馬錯は蜀を討とうとした。
 張儀は「韓を討つに越したことはありません」と言った。
 王は「その説を聞こう」と言った。


 ①張儀はこれに答えて言った。
 「魏と親和し楚との関係をよくし、兵を三川(さんせん、河洛伊の三つの川があるためにそのまま地名となった)に下して轘轅(かんえん、轘と轅という山名であり要塞が韓にあった)と緱氏(こうし、これも韓の山の名前)の口を塞ぎます。
 屯留(じゅんりゅう、韓の都市)への道に当たっては魏は南陽を攻めさせ、楚は南鄭に臨ませ、秦は新城と宜陽を攻めます。そして二周(西周と東周)の郊外に行き、周主の罪を挙げて楚と魏の地を攻撃すれば、周は自ずと救われないことを知り、九鼎(きゅうてい)や宝器などは必ずや周の宝庫から出ることになり、秦に入ることになるでしょう。そこで九鼎を盾にとって戸籍を調べて、天子を取り込んで天下に号令すれば、天下はこれを無視することはできないでしょう。これこそ王業とすべきものです。

 今蜀の事を考えますと、蜀は西の果ての土地であり、野蛮人の国です。兵をやって制圧しても名誉を得るようなことはできません。土地を得ても実利となるほどではありません。
 この臣はこのように聞いております。
 『名誉を争うのであれば朝廷においてなされるべきであり、利益を争うのであれば市場においてなされるべきである』
 今、三川の地と周室は天下の市場であり朝廷だと言っても過言ではありません。それなのにここを王は争わず、戎狄(じゅうてき、野蛮人)の地を争っておられます。
 これでは王業を去る事が遠くなると言っても過言ではありますまい


 ②司馬錯は言った。
 「そうではありません。
 この臣はこう聞いております。
 『国を富ませようとする者はその土地を広げることに努め、兵を強くしようとする者はその民を富ませることに努め、王になろうとする者はその徳を広めることに努める。
 この三つの資質を持つ者がいて、王位や王業は自然とこれについてくる』と。


 今、王の土地は小さく、民は貧しいと言えます。それゆえこの臣が思うには、事をなそうとしても易きに流れやすい状況です。
 蜀は西の果ての土地であり、戎狄の王であり、古の傑王・紂王(けつおう、ちゅうおう。暴君として有名)であるかのような乱暴さがあり、政治は定まっておりません。今、秦がここを攻めるというのは、狼の群れが羊を追い払うがごときものです。土地を取れば国を広げることができ、財を得れば民が富むようにすることができます。兵を傷つけることなく安全に彼らを服させることができます。それゆえ、蜀一国を取っても天下はこれを暴虐とは言いません。一国の利益を取っても、これを貪欲とすることはありません。これによって一挙に名誉と実利がやってきて、しかも暴力を禁じ乱を正したという名誉もついてきます。

 今韓を攻め天子をおびやかそうとしております。しかし天子を脅かすのは悪名であります。しかも利益は必ずしもあるわけではなく、それどころか不義の名はついてきます。このようにして、天下のよしとしないところを攻めるのは危ういと言えます。この臣はそのこのところを申し上げたく思います。
 周は天下の宗室であります。そして斉・韓はその同盟国です。周が九鼎を失ったことを知り、韓が三川の地を失うことを知ったならば、必ずや二国は力を合わせ、謀を巡らせて、斉・趙に仲介を求め、(秦から攻撃される、その難儀の)解決を楚・魏に求めることとなりましょう。そうなれば九鼎を褒美として楚に与え、土地をもって魏に与えるとなったとしても、秦王にはこれを禁じることはできません。これこそがこの臣の危ういとするところであります。
 蜀を討つ計画の完全さには全く及びません」


 ③惠王はこれを聞いて言った。
 「よし。私はそなたの意見を取り上げよう」
 こうして兵を興して職を討伐し、十月あまりで制圧し、ついに職を征服してしまった。蜀では号を改めて(王号から)候とし、陳荘(ちんしょう)を宰相とした。蜀は既に秦に属しており、秦はその結果ますます強くなり、富は厚くなり諸侯を圧倒するようになったのである。


 ・ということで司馬錯(しばさく)が張儀に対抗して意見を述べるくだりですが。
 これをどうみるかというのはなかなかに難しいところです。
 張儀が単純に言い負かされているくだりか、それとも張儀が脅威になってきているために牽制が必要になったという話なのか(牽制がメインというわけでもなさそうですが)、縦横家でもその道のプロである司馬錯将軍の情勢分析の確かさの前では負かされるということなのか。あるいは張儀がこうなることを予測しているがために先にそれっぽい意見を言って敢えて負かされているということもありそうです。可能性を言い始めると断定することが難しいので、まあここはあまり気にしないのがいいのかなと思います。


 ・劉備が諸葛亮に意見を求めに言ったら、天下三分の計を示されて辺境の地である蜀を示されたというのは有名です。そして蜀という辺境を示されて、普通なら怒るはずが素直に受けいれた。何しろ劉備は圧倒的な曹操に対抗するためにどうすればいいかを聞きに行っているわけですから。諸葛亮は意見を言い、劉備はそれを受け入れた。そこに劉備のすごさを見出すことができると誰かがどこかで言っていました。すごいのは果たして劉備なのか、諸葛亮なのか、それとも両方なのか。


 これも同じ話ですね。普通なら中央でドンパチやっているんだから、中央へ繰り出そうぜという話が本筋にあるものだと思います。そこで敢えて司馬錯は辺境を制圧しようと言い出します。これが非常に理に適っていた。秦という国を富ませることに大きく貢献した。だとしても、普通は中央ではなく辺境を示されるというのは非常に相手を怒らせる性質のものであると思います。それを納得させた司馬錯の話が見事であったのか、あるいは聞き入れた惠王が賢明であったのか。
 この話が成立した、それもいかにも勝ちそうな張儀を負かして成立させているところが非常にすごい話なのではないかなと思います。





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