ということで前回は周最(しゅうしゅ)が趙の金投(きんとう)に秦と仲良くして斉と戦うのは辞めた方がいいよという話でした。秦が強国になれば、中華の1/2は秦のものになるし、そうなればどの国も秦に従わざるを得なくなるよねと。秦に従うことでいずれ秦に支配されるとなると、これはもはや計でもなんでもないという話でした。
周人である石行秦(せきこうしん)が大梁造(たいりょうぞう、大良造とも。名前ではなく秦のある爵位名)に言った。
「覇王の名を決せんと思えば、両周で雄弁であり才知の立つ士を備えるに越したことはない」
周君に言った。
「わが君におかれましては、雄弁であり才知の立つ士を用いて、秦に行かせて利害得失について論争させる以上の手はありません」
・注によると、秦は東周・西周の弁士を拒絶しており国内に置かないことを決めていたという前提があるようです。そこで石行秦(せきこうしん)は秦のお偉いさんには「秦が覇王の名前が欲しければ、両周から口の立つヤツを雇った方がいいですよ」と言い、周に行っては「口の立つヤツを雇っておいた方がいいですよ」と言ったという。秦にも周にも工作していたわけですから、まあそれなりにうまくいったのではないでしょうか。どこを探してもちょっとその結果は出てないようです。これによる意図とか狙いとかはちょっとわかりません。一応自分、というより周の息のかかった者を秦に入れることに主眼があったのかなと思います。
もっといえば秦はそういう口の立つヤツは入れないという方針があった、そこに敢えて入れようというわけですから秦の内部を攪乱しようという意図があった、というのはあるように思います。蘇秦はまあ常に反秦で動いてましたが。それに次ぐ者といえば周最となるでしょうが、周最は斉とか魏とか趙には仲が良かったようですが、秦にはどうかといえばちょっとわかりません。というより、仲が良ければ真っ先に秦に行ってるでしょうから、恐らく関係はなかったのでしょう。なので、周の側としては蘇秦、周最に次ぐ第三の弁士を求めていたのでしょうし、さらにはその人が秦に対して影響力を行使できるような環境を作りたかったのではないかなと。
そして国力の圧倒的に劣る周としては、状況を打破してくれるものとして弁士を求めていた。これはけっこう特徴なのかなと。蘇秦とか張儀なんてのは後世まで決していい名前が残っていないわけで、諸葛亮も「まるで張儀みたいだ」的なことをどこかで言ってました。あ、李厳が失脚したあたりのくだりでした。まあともかくあまりいい印象がないわけですが、それでも周としてはそういう人に状況を動かしてもらうということが求められてたというのはあるように思います。
よく言えば弁士を使いこなす風土があった。てこの原理みたいに少ない労力で大きく事態を動かす、そういうことが求め荒れていたと。悪く言えば短絡的で、めんどくさがりで、一発で状況を打破できるようなうまい話がどっかにねえかなあという感じですかね。
・需要と供給じゃないですが、需要が出るように秦に工作しておいてそれなりの手ごたえがあったのでしょうから、次は供給側へ行って供給しといた方がいいですよと。せこいっちゃせこいですが、手堅いと言えば手堅い手だと言えます。これはこれでおもしろいというかいい手だなと。
買いたいって人が出るようにしといて、供給側に行って「供給できますかね」と確認しておく意味でもこれは手堅く堅実な手だと言えるのではないかと思います。
ということで今回で東周編は終わりです。
次回からは秦に入りますが、今までので50ページ。
秦編はなんと216ページまで続きますから(笑)、当分秦になりそうですね。
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