ということでまた元に戻りたいと思います。
前回の話は、呂禮(りょれい)という秦の将が釣られて斉へ行き、うまい話うまい話と追って行ったら斉からも出て行かざるを得なくなるという話でした。
ある人が薛公(せつこう、孟嘗君、もうしょうくんのこと)に言った。
「周最(しゅうしゅ)は斉王にとっては信頼が厚い人物です。そのため斉王が周最を追って祝弗(しゅくふつ)に聞いて呂禮(りょれい)を相とするのは秦のご機嫌を取りたいと思ってのことだと言えます。秦と斉とが合わされば、弗と禮への支援が重くなりましょう。そういう事態になれば、貴公は必ずや軽んじられる結果となりましょう。
そこで、貴公は北方の趙の兵を起こすようにして趙と秦・魏を促し、周最を後軍と(して三国で斉を攻撃する)する以上の手はありません。そうすれば秦は斉の信義に背いて、これによって天下が斉に従わないように持っていくことができます(秦と斉とが仲違いすれば、強い秦の方にどこの国もなびくため)。斉としては秦の後援がなくなれば、天下の兵は集まっても祝弗は必ずにげだす結果となります。こうなれば斉王は誰と共にその国を治めることとなるのでしょう(反語的表現、いや孟嘗君以外にその適任はおりますまいということが言いたい)」
・ちょっと私の方に誤解がありました。
この時代って、例えば蘇秦が六国の宰相を兼ねるなんてことがありましたが、他の国で重用される=元の国を裏切るということでは必ずしもないんですね。なので、呂禮(りょれい)が秦から斉へ行き、斉の宰相になったとしてもそれは必ずしも秦を裏切ったということを意味しないと。なので、この話の認識としては、呂禮が秦の将軍を務めつつも斉の宰相をすることになったとしても、それはあくまで両国の接着剤として作用するものであると。
なので、この話は呂禮がそういう重い役割を果たすことによって両国の橋渡しをする、それをなんとしても阻止せねばという話なんですね。そうなるとちょっと前回の話も訂正がいるかもしれません。
・重要なのは、まあ孟嘗君(もうしょうくん)がいかに斉王に重く用いられるかということですね。ここに主眼があります。主君は宣王、もしくは湣王(びんおう)ということになりますが、孟嘗君は湣王とは仲が悪かったようなので恐らく宣王なのでしょう。
しかしそれを思えば、日本の源氏物語とかじゃないですが、いかに王の寵愛を受けるか、いかに政敵を失脚させるかという話に通じるものがありますね。まあ確かに愛されなくなればそれだけでなく陥れられて死ぬような事態にもなりかねないので、一応けっこうな死活問題ではありますが、どうも悲しいというか。自分が寵愛を受けるためならば政争も辞せずというか、それどころか喜んで趙をけしかけて争乱を起こそうというこの感じがどうも好きになれないような気がします。恐らくはそういう話をある人が孟嘗君にしている時点で、孟嘗君は乗るんだろうなと。孟嘗君も一応そういう話をよく聞く人でもありますから、まあ実行したんじゃないかなと思います。
オレの寵愛のためなら戦争も辞せずという、その斉の内々な話を世界を巻き込んで戦争まで引き起こそうというのですから、なんなんだこりゃって感じがします。
・まあ主眼はそうであったにしろ、戦国策としてみれば、その孟嘗君がいかに斉王から重要視されるかという話ですね。どのような見方でそれを構想し、実際に実現させたか。それが重要だし含蓄に富んでいると言えます。趙と秦・魏の三国で連合し斉を敵に回し孤立化すると。よくもまあそんなこと思いつくよなあってのは重要ですね。
そういえばこの頃は趙は武霊王(ぶれいおう)であり、まさに軍事的には全盛期を迎えつつあった頃ですから、秦もその趙を相手にしたくないでしょうし、その勢いで斉と戦わせるわけですから、この計略というのは(私としては好きではないですけども)非常によく考え抜かれているなという感じがしますね。
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