趙の威后が斉王を批判する話






 ということで前回に引き続き、趙の威后(いこう)の話です。前回と違うのは、前回はあくまで趙の段でありしかも「孝成王」のくだりにあったわけですが、今回の話はあくまで斉の話であり、斉の「王建」の段にあるということです。だから主題は斉の方にあるわけですね。
 王建というのは調べると「田建」という名前で出てきます。
 田建
 斉の最後の王ですね。40年王をした末に始皇帝によって滅ぼされることとなります。なので、「あーあの斉を滅ぼした最後の王?」というニュアンスが濃厚にあると思っていいでしょうね。


 斉王は使者をやって趙の威后のことを問わせた。手紙の封をまだ開かないうちに威后は使者に問うた。
 「この一年は異状ありませんか(普通に米が獲れたかのニュアンスがある)、民は特に異状ありませんか、王は特に何もありませんか」
 使者はこの問いを聞いて喜ぶことなく言った。
 「この臣は王の使いをすることによって威后様に使いしているものです。今王のことを問わずに、まず先に年のことと民のこととを問われました。これがどうして卑しい者を先にし、尊い者を後にする行為でないと言えましょうか(反語。要するに斉王をよくも侮辱したなと言いたい)」
 威后はこれを聞いて言った。
 「そうではありません。
 (その年が)順当な年でなければ、どうして民がありましょうか。民がなければ何をもって王がありましょうか。どうして本を問うことを置いておいて末から先に問う者がおりましょうか」


 威后はさらに話を進めてこの使者に聞いた。
 「斉の在野には鍾離子(しょうりし)という者がおります。かの者は元気でいるでしょうか。その人となりは食糧のある人にも食べ物を与え、食糧のない人にも食べ物を与えます。衣服のある人にも服を着せ、衣服のない者にも服を着せます。これこそがその王を助けてその民を養う者です。どうしてこの人に今に至るまで位を与えないのですか。

 葉陽子(しょうようし)は元気でいますか。その人となりはひとり者を哀れみ、みなしごに恵み、困窮極まる者を救い、その不足を補います。これこそその王を助け民を安んじる者であると言えます。どうして今に至るまで位を与えないのですか。

 北宮(という里)の女皃子(じょえいじし)は元気でいますか。老齢になるまで嫁ぐこともなく父母を養っております。これこそがその民を率いて、その心に孝の心を抱かせる者です。どうして今に至るまで参朝を許さないのですか。


 この二士には地位がなく、一女には参朝がない。これでは何をもって斉国に王となり、その万民を子とすることができるでしょうか。
 於陵(おりょう、地名)の子仲(しちゅう)は今も元気でいますか。この人の人となりと言えば、上においては王に臣として仕えず、下においてはその家を治めることもできず、その中においては諸侯に交わりを持とうともしません。これは民を率いて無用な方向に進ませる者だと言えます。
 どうして今に至るまで生かしているのですか」


 ・以前にこの話を読んだのは三年くらいまえになりますが、その時とは大分印象が違います。
 以前の記事
 まあ趙の太后=威后であるという確たる根拠は結局ないわけですが、時期や登場人物、しゃべる内容からわかる頭の良さを調べていくとほぼ間違いないのかなと。それに趙では太后がたくさん立ったという話も聞きませんし、まあ99%くらいは当たっていると思います。


 白起が「今の趙と戦うのは無謀です」という進言を秦王にする話があるんですが、その根拠として白起は、趙は大敗してから上から下まで一致団結して国のために働いているからだと言っています。他国との外交も謙虚にして、それによって外からの援助も受けられると。そしてその根拠となるものがここに見受けられるように思います。
 白起の話
 趙がいかにがんばっているかを白起だけは把握しているということが良くわかる話です。


 ・趙としてはそうして大敗し、秦によって滅亡の危機に瀕しているわけですが、これによって他国との関係は良好になり、自国に対してどのような者が関係しているか、恩恵をもたらしているのかを具体的に把握している。それがこの威后の言葉からはわかるように思います。
 鍾離子、葉陽子、女嬰皃子(しょうりし、しょうようし、じょえいじし)の三人の名前が上がっていますが、これというのはこの威后がただ趣味で斉の内情をよく知っているとか密偵を送ったというような性質のものではなく、実際に趙への支援ということで何らかの関係を持ったのでしょう。こうして斉の在野にはまだまだとんでもなく素晴らしい人が多くいるのに、斉の方ではそれを知ろうともしていない。


 その原因というのは、まずは強大な秦と接していないことが挙げられるでしょう。とてつもない脅威というのは斉にはないわけです。かつて楽毅によって滅亡寸前まで追い詰められましたが、それも昔の話で、燕は所詮小国燕でしかない。そういう思いもあるでしょう。

 次にはそれと関連して、斉は大敗していないこともあります。実際には大敗はしていますが、今やそれも昔の話で、やはり「オレの国はかつて孫子もいた(正確には孫臏、そんぴん)強国なんだぜ」という思いは自他共に濃厚に持っているように思います。自分のところは強国だという思いでありイメージがかつて大敗して滅亡寸前になったことを忘れさせた。具体的に謙虚さを失うだけの理由が斉の方には十分あると。「オレすげえ」「オレの国すげえ」という思いが、実質的に斉という国を直接腐敗させているわけです。


 さらには、斉は孫臏だけでなく田単(でんたん)もいた国でもあります。楽毅に匹敵する名将と言われはしますが、それは今の視点から言ってそうなのであって、当時はそうではなかった。というより、いきなり民間から成りあがってきた田単はいってみれば「成金」みたいなものでいくら功績があろうとも、いや功績があればあるほど嫌われる結果になったでしょう。田単が滅亡を救った救国の将ではない、ということが斉の内部事情を明らかにしていると言っても過言ではないと。
 田単がいかに朝廷で敵が多かったか

 似たような話で、孫臏はあくまで副将でしたが、その総大将だった田忌(でんき)は斉から追放されることとなります。
 地位を極めた人がさらに功績を立てても人に疎まれて身を危うくする。そういう事情がよくわかる話ですし、特に斉という国はそういう事情が色濃く反映されているというのがよくわかります。田単もそうですし、田忌もそうだったわけですね。そして功臣を追いやれば、他のものが安泰になる。そういう風土があります。


 こうしたいくつかの事情が斉という国を内から蝕んでいった。そのように考えられるように思います。そしてそれが斉を蝕む本当の要因である、そしてそれは斉の風土となっており、改善を阻む最大の要因となっているということをここで威后は指摘しようとしているのではないかと。
 実際に田建の代で斉国はなくなります。この話を照らし合わせて、暗に威后がそれを事前に指摘している話だとみることはできます。でもそうした滅んだ滅んでない、予言した予言してないということ以上に重要なのは、斉という国がいかに学ばない国であったかということだと言えるでしょう。プラスを活かすことができず、マイナスを消すことができない。そうした風土が斉を蝕んでいき、そして滅亡に繋がっていった。予言であるかないか、などということはこの問題の前では瑣末事でしかないと言えるのではないでしょうか。




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