急ですが、趙の太后についてやろうと思います。というのは私の書いてるブログの中で一番人気のあるコンテンツであり、まあ恐らく漢文の授業関係なのかなと思っているんですが、まあ今一つわかりません。まあともかく需要があるっていうことならこの大正の本で見てみたらどういう結果になるのかをちょっと早めに把握しておきたいと思っていますし、それだけの意義はあるのかなと。全集で読んだら微妙に意味合いが変わってきたりして、そういうのが新しい発見にもなるかもしれません。そういうわけで、前回のはかなり意訳でしたが、今回はかなり原文のニュアンスを大切にしたいと思ってます。
ついでに、この話が「孝成王(こうせいおう)」というくくりであることが既に分かりました。これだけでやはりやってみる価値あるなと思っています。
孝成王
ちなみにこれが三年前に書いた記事ですね。既に一年半前にいろいろ調べてますが。
趙の太后が新しく国政を独断で執り行った。秦が急に趙を攻めた。趙では救いを斉に求めた。斉では「(孝成王の母弟、つまり叔父である)長安君を人質とすれば援軍を出そう」と言った。太后はこれを許諾しなかった。大臣は強いて諫めた。太后は左右の者に明らかにした。「再び長安君を人質とせよという者がいれば、この老婦が顔に唾を吐きましょう」
①左師を務めている觸讋(しょくしょう、しょくは角に蜀、しょうは龍に言)は太后へまみえることを願い出た。太后は意気を盛んにして(觸讋が長安君について言うことを妨げようとして)待った。觸讋は入って静かに走り、太后の前に至って謝罪して言った。
「この老臣は足を病んでおりまして、宮中を走ることができません。こうして太后様にまみえることができないまま久しくなってしまいました。太后様のお身体が病気などにならないかと一人心配し恐れております。それゆえこのたび太后様にまみえることを願ったものであります」
太后は言った。
「この老婦も輦(れん、夫夫車と書く。車のこと。神輿のニュアンスが近いか)が必要ですよ」
「飲食が衰えたりするようなことはないですか」
「粥(かゆ)だけが頼みです」
「この老臣は近頃は特に食欲が起きません。自ら強いて三四里歩いては食をたしなんでおります」
「この老婦にはちょっとできません」
ここで太后の気色が少し和らいだ。
②左師公は言った。
「この老臣の愚息に舒祺(じょき)という者がおりまして、最も若く不肖の息子であります。この老臣は衰えて、この息子のことを思っております。できることならば黒衣の数に入れて頂いて(衛士としてもらって)王宮を守らせてやっていただきたいのです。このことを死を覚悟して申し上げたいと思って参りました」
太后は言った。
「つつしんでお受けいたしましょう。年はいくつですか」
「十五歳です。年少ではありますが、この私が溝のごみとなり果てて死ぬ前にこれを託したいのです」
「丈夫と言えども年少の子はかわいいのですか」
「それはもう御婦人方以上でございます」
太后は笑って答えた。
「婦人のそれは甚だしくて異常なほどですよ」
「この老臣は密かに思っておりましたが、太后様の燕后(燕に嫁した娘)を愛することは長安君以上なのかなと」
「それは誤りです。長安君に対して愛情が甚だしいことにはとても及びません」
③左師公は言った。
「父母が子を愛すると、子のために計画をすることは深遠なものとなります。太后様が燕后様を送った時は、かかとを離すことなく(別れを惜しんでと言いたい)燕后様のために泣き、燕までの遠さを思って悲しんでは、また哀れんだものでした。既に行ってしまった後も思わないことはありません。祭祀の際には必ず燕后様を思って祈っておられます。『離縁されて帰されることがないように』と。これというのが、どうしてその長さの久しくなることを思い、子孫が相次いで王となることを思ってのものではないものでしょうか(いや、そんなことはない。反語表現)」
太后は言った。
「その通りです」
左師公は言った。
「今より三代以上前、つまり趙氏が趙国となるまでさかのぼってみて、趙簡子や趙襄子の子孫で、今も候として脈々と連なっている者がおりますでしょうか」
「この老婦は聞いたことがありません」
「趙だけでなく、諸侯にはおりますでしょうか」
「ありません」
④「これというのは、災いが近くで起こった者はその災いがその身に及び、遠くで起こった者は災いがその子孫に及ぶためなのです。どうして偉い者の子孫が全員不出来だった、などということがありましょうか(反語表現)。
地位は高いが功績なく、俸禄は厚いのに労役はなく、さらには宝飾品の類を貯め込むことがあまりに多すぎるためであります。
今、太后様が長安君の地位を貴んでこれを封じるのに肥沃な土地をお与えになり、さらには多くの宝飾品を与えておられます。しかも今に至るまで国に対しての特別の功績はありません。
これではいったん山稜が崩れれば(太后が崩御すればの意味)、長安君は何をもって趙に身を託すことができましょうか。この老臣が思うに、太后様は長安君のために考えることはあまりなく、それゆえ愛することは燕后には及ばないと思ったのであります」
太后は言った。
「わかりました。貴公の思うところをしなさい」
ここにおいて長安君のために百乗の戦車を斉への礼物とし、長安君は人質となった。
これによって斉兵は出兵した。
(趙の賢士である)子義(しぎ)はこれを聞いて言った。
「君主の子は骨肉の関係にある。
それでさえ功績がないのに尊い地位にいることはできず、労役をしなくても俸禄はあるが、それを頼みとして宝飾品の重さを維持することは出来ない。
(君主の家族でさえこうなのだから)普通の人臣は言うまでもないことだ」と。
・これ、最初の方で「走る」という言葉が出てますが、「なんで宮中で偉い人の前で走るんだ? むしろ走らないものじゃないのか?」というのがありました。確か前の本では「小走り」という表現を使ってましたが、どちらにせよ違和感があります。
そこで、これですね。
これの27:40あたりで皇帝の前で小走りしている劉備がいますが、ようするに偉い人を少しでも待たせないために気を遣って走ると。そういう文化があるんだなあっていうのがこれで非常によくわかるのではないでしょうか。戦国策のこの疑問が長いことありましたが、このシーンで氷解しました(笑)ああ、小走りしているなと(笑)
・まあ何度も見ているのでそこまで新しい発見というのはなかったですが。
ただ、この觸讋(しょくしょう、前のは触竜(しょくりゅう)でしたが。觸が「触」だし、龍に言を「竜」で省略しているのがわかります)のこの太后に話しかける前半の無駄話、このムダの効用というのが非常によくわかります。内容には別に大した意味はない、ただの世間話なんですが、この大したことのない話を延々と時間をかけてする、これによって相手の固くなった、あるいは当然固くなっているだろう心を氷解させる。これというのは現代でも通じるものがあると言えるんじゃないでしょうか。
人と人が親しくなるというのは、別に意味のある会話、特別な会話をやったからというわけではないんだと思います。むしろそうではなくて、質よりも時間、その時間の掛け方が人と人とを親しくするのではないかなと思います。これというのは例えば頭を洗う時に洗面器でざっばーとかけるじゃないですか。でもその時に頭をきれいにするのは水量ではないし、勢いでもない。ちょろちょろと続く持続した時間、その時間の持続性が最も効果を発揮するわけです。つまり質ではないと。量というわけでもないですが、その時間の長さに意味があるようになってくる。これっていうのは重要なことじゃないかなと思います。時間という要素、持続性という要素が質と量とに新しい意味を付与し始めるようになるんですね。
人と人の関係を形作るものも同様で、質かといえばそうでもなく、量かというとそうでもない。そこに時間という新しい要素が加わった際に新しい意味を持ち始める。觸讋という人のこの話術のミソというのはそれなのかなと思います。どこに意義があるか、質なのか、それとも量なのか。そうではなく第三の要素としての持続性、時間に意義を認める。これが一種の知恵なのではないかと思います。
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