新戦国策1-14、杜赫(とかせき)が周君に楚将の景翠(けいすい)を推挙する話






 ということで、前回は鄭朝(ていちょう)という人が占いを利用して趙から周へと土地を返させるという話でした。


 杜赫(とかせき)が楚将である景翠(けいすい)を周に重んじられるようにしよう(さらには楚の言い分を周によく聞かせられるようにしよう)として、周君に言った。
 「周君の国は小さいものですから、諸侯に重宝や珠玉を尽くしたりして仕えるようなことはよくよく考えてするようにしないとなりません。これを例えるなら、網を張って鳥を捕まえるようなものです。鳥のいないところに網を張っても鳥を捕らえることはできず、鳥の多いところに張れば鳥をいたずらに驚かすことになって、得るところはやはりありません。鳥がたくさんいるところといないところの境目に張ることで、多くの鳥を得ることができるのです。

 今、周君は重臣を厚くもてなそうとしておりますが、こうしていては重臣は周君を軽く見るようになるでしょう。かといって無能の臣に施していては、特に得られることもなくただいたずらに財貨を失うこととなるでしょう。

 従って周君は今は困窮しているけれども、いずれは重臣となるだろう者を選んで施すべきです。これによって周君の望み通りの結果が得られることでしょう」


 ・杜赫(とかせき)ってなんかおかしくないか?? と思いました。三国時代にも例えば杜襲(としゅう)とか杜預(とよ、どよの方が一般的か)という武将がいましたし、有名どころでは杜甫(とほ)とかもいます。そうなると、この「杜」の字は「と」ではあっても「とか」ではないのではないかと個人的に思いました。まあそうして訂正するのは簡単ですが、せっかくこうしてフリガナがふってあるので、ここは敢えてそのまま載せておこうと思います。なんか思わぬところで発見に繋がることもあるかもしれません。


 ・現代で言えば、一行目の「あんたのところの国は小さいので……」と言った瞬間に相手を激怒させて失敗に終わりそうな切り出し方ですね(笑)さらには重宝や珠玉をよく考えて与えるようにしないと……というくだりも周君を結構激怒させる内容を含んでいるように思えます。恐らく、この杜赫(とかせき)はそこのところをむしろ意識して周君を挑発気味に言っているのではないかなと。
 「なんだと!」と怒らせる方がむしろ食いついてくれて都合がいいと。そういう言ってみればテクのようなものを使っていると考えられます。というか、小さい上に貧しいなんていきなり言われた日にはそりゃ怒るわという感じですね。まあ激怒させて食いつかせるというテクであって、余程それに自信がないなら使うべきではない気もします。


 ・さらに続けて杜赫は鳥の例えを出しますが、これは絶妙ですね。
 非常に説得力のあるものです。
 これを聞いてそれは違うということはかなり難しいなと思います。こういう話が用意してあるからこそ、挑発もできるのでしょう。


 ・挑発して説得力のある話をして、その結果周ではこの楚将である景翠(けいすい)が重く用いられるようになったとすると、この話は極めて危うい話だなと思います。要するに重臣を重用してもいいことはない、無能な臣を用いてもいいことはない、その結果周ではなく、楚の将軍を重く用いては? という話ですから。
 こういう言い方もなんですが、周で重用されるのが楚将であるということは、寄生虫に半分乗っ取られるようなものですから。プラスに見れば外国に対して発言権が効く、マイナスに見れば楚に有利なように話がいつも進む危険があります。秦と戦え、と力説されて戦うなんてした日には滅亡します。
 まあ楚からするとそうやって操れるというのは、非常に有効な手ではあるのですが……


 ・例えば秦の宰相は范雎(はんしょ)という男が仕えましたが、出身は魏です。他にも呉に仕えていた伍子胥(ごししょ)の出身は楚です。二人の共通点は祖国に対して強い恨みを持っていたし、復讐心を持っていたということです。そういうわけなので、国の中枢に入ったからと言って祖国に有利なように話を進めるようなことはなかったわけです。結果的に見れば有能な臣がその国にとってプラスに作用したからよかったねとなりますが、でも進行形でみれば果たしてそうなのかどうなのかと言えば極めて怪しいものです。常にこの点が人には付き纏うと言っても過言ではないと。ベクトルで表現するならば、人という者がもつ方向性とその力とは、決して寄生虫的な我田引水ではないとは言えますが、それでも優秀なら優秀なりに我田引水はあるものですから。そういう見方から常に独立して全くの無関係でいられるということは極めて難しい。


 ・曹操の配下に荀彧(じゅんいく)という臣がいました。彼は次から次に優秀な人を曹操に推挙し、推挙した者は必ずある程度の功績を上げたため、曹操の事業に大きく寄与したと言えばそういう風に見えます。しかし見方を変えれば、荀彧派であり荀彧の息のかかった者は曹操陣営内部で大きく膨らんでいたため、曹操にとっては眼の上のたんこぶではなかったろうか、と見ることもできます。呂布や袁紹と言った強敵は外にはいましたが、実は内にも強大な敵を孕んでいたともいえるのが曹操陣営ではなかったろうかと。そして荀彧は曹操によって自害を命じられ、死にます。
 最大の功臣のはずが最大の強敵となっていたということが恐らくはその事情として考えられるのではなかろうかと思います。


 ・人がいること、人を重く用いることは難しいよね、という話ですね。




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