ということで前回は、ある人が魏王に斉に一泡吹かせようぜと。
趙と秦とが斉を敵にすると見せかけつつ、実は相手が先に裏切って斉の味方につくんじゃないか? と疑心暗鬼になっていることで事態が進まないと。そこで魏が斉と組む、と見せかけて斉を襲おうぜと。斉と同盟を組むことも斉を襲うことも可能になると。そういうお話でした。
ある人が周最(しゅうしゅ)に言った。
「魏王が国を先生に委ねているのは、秦と組んで斉を討つという事態になることを期待してのものです。薛公(せつこう、孟嘗君もうしょうくんのこと)はかつての主君、もらった土地である薛の地を軽んじてもはや忘れており、先君の丘墓を顧みることもありません。
貴公は一人つまらぬ信義立てをし、表向きは美しい行いをなし、魏の多くの群臣に故主である斉の義によることを明らかにし、つまりは斉を討つ計謀に関わることなく、その結果秦の怒りを買うことになるのは必定と言えます。
そこで貴公は魏王と薛公に次のように言う以上の手はありますまい。
『魏王のために斉に行かせてください。
これによって天下の諸侯は斉を攻めることはできないでしょう。もしも一朝有事あれば、この私が斉王に言って魏を救いましょう。もしも何もなければ、もともとの思惑通りに斉を討ってください。この私はかつて斉に臣下として仕えたことがあります。王が天下の諸侯と交わるのに、災いするようなことがあってはなりません(斉は天下の嫌われ者であるため、そこに仕えていた周最が魏にいては魏が憎まれたり嫌われたりしてはならないと言いたい)。王はこの私によくしてくださいました。この私が斉に入れば、私の身が安泰なのはもちろん王も安泰であり、斉に関する煩わしいことから解放されることとなるでしょう』」
・読みながら思ったのは、この周最(しゅうしゅ)というのは孟嘗君と時代はかぶっていたんだなということでしたね。
しかも斉から出ているとなると、恐らく魏にいるでしょうからかなり限定できるでしょうね。そうなると紀元前284年より後となるでしょう。
となると楽毅(がっき)とも時代はかぶっているため、この後に(どのくらい後かはわかりませんが、恐らくこのすぐ後)斉は燕によって痛めつけられ、残り二城となり、滅亡寸前まで追い詰められることになると。そういう意味では、このちらほら出てくる「斉を叩こうぜ」というような魏の願望というのはあながち当てずっぽうではないし、そういえば燕の斉への遠征に対して諸国からの連合軍があったわけですが、魏も参加していました。
つまり、魏の斉への何らかの形で持ってしまった憎しみというかマイナスな感情というのは、斉が燕によって攻められる事態になった際に、斉に敵となって現れる事で表されることとなりました。もしも何かあった際に、例えば斉が好かれているとか恩があったならば、斉側で参加することも可能だったはずです。あるいは燕が攻めると言った時に、別に恩義もないがかといって参加してもうまみもないとなれば中立、不参加ということもあり得たでしょう。しかし結果からみると、魏は斉の敵として戦争に参加することになったわけです。
斉の広大さと強大さに比べれば(しかも「孫子」の印象もあります)魏は大した力もなければまあ小国だったでしょうが、しかしそれもいざという時にはとんでもない事態をもたらすことがある。火事になった際に、灯油を持って現れるかもしれない。水をもって消火活動するかもしれませんが、傍観者としてただ見ているだけかもしれない。このことの意味というのは意外と大きいし、バカにならないのではないかと思います。これというのは現実の人間関係でも如実に現れてくることではないでしょうか。
しかしこの献策をしている人は、まるで燕がこの直後に斉を追い詰めることを知っていて一手一手詰めているかのような感じを受けます。そういう流れもあるということを表しているのかもしれません。
この記事へのコメント