新戦国策2-17、周最(しゅうしゅ)が秦王に周を攻めない方がいいですと言う話






 ということで、前々回から見ていくと、秦に周君が行くことになりましたと。でも周君は行きたくありませんでした。
 ですけど行かざるを得なくなり、前回その息子である周最(しゅうしゅ)が行くことになったと。なのでじゃあそつなくやるためには秦に土地あげましょうよという話でした。


 秦は周を攻めようとした。周最(しゅうしゅ)は秦王に言った。
 「秦王の国のために計りますに、周を攻めたりはしなさいますな。周を攻めることは実際には国を利するには足らず、その名声に関しては天子に刃を向けたということで世を恐れさせる性質のものであります。天下がその名声を聞いて秦を恐れるようなこととなれば、必ず東の大国、斉が中心となり集いましょう。兵士は周を攻めたために疲弊して、天下は皆斉になびくとなれば、秦は孤立して王位を保つことはできません。これというのは天下が秦を疲弊させたいと思うがゆえに、秦王に周を攻めるように勧めるものです。
 秦が天下の諸国と争って疲弊すれば、命令は周にすら行き届くことも難しくなるでしょう(この弱小国である周に行き届かない、周に舐められるような事態をもたらすでしょう)」


 ・まあ周最(しゅうしゅ)は何回か見ていますように、周の公子ですから。こういう進言をするということは、そもそも周を攻めて欲しくないという事情はよくわかります。
 そしてもう2-17となってますが、これ赧王(たんおう)というくくりで一応やってます。なのでこの周君=赧王ということになります。西周の最後の王で、60年ちょっと王を務めています。
 赧王
 「なお、「赧」は「顔を赤らめて恥じ入る」という意味である」
 中国の最長の王朝である周をとうとう滅ぼしたということで、恥じ入るべきというようなニュアンスがあるようです。


 ・で、じゃあ周最は上のように言ったわけですが。前回とかを見てますと、側近とかに知恵の回るヤツがいて、そいつがアドバイスしているようですし、今回はいかにも自分で言っているかのようですがまあそういうやつからの入れ知恵があったんだろうなということは想像できます。
 紀元前後256年ごろということは秦王は昭襄王(しょうじょうおう)でしょう。
 まあ最近白起が出てましたし間違いありません。
 となると、つい6年くらい前に趙を長平の戦いで破って20万の兵士を生き埋めにしたりしてますし、30年前には伊闕の戦い(いけつのたたかい)で韓・魏(と周)の連合軍を破っているわけですね。
 となると、秦は諸国よりも圧倒的に強いという、ぼちぼち最盛期を迎えつつある時期だなと考えられます。


 で、そうした時期である秦がこの周最にこうしてアドバイス受けてるわけですが。
 「周を攻めて疲弊した上に、斉を中心とした連合軍と戦えば……」
 ということを聞いて果たしてどう思うか。韓や魏でさえも秦からすれば弱小国なのに、それよりもさらに弱小国である周です。
 「オレの国が周ごときを攻めて疲弊するか!」
 と思いそうな話です。実際にそう思ったかどうかはわかりませんが、とりあえず言えることはこの後周は秦に攻められて滅亡します。


 恐らく、この周最の進言というのはけっこういい進言だと思うんですよ。いかにも誰か頭のいいヤツが考えたんだろうし、人を思いとどまらせる内容ではあると思います。言っている内容も後述しますが、まあ的確でしょう。
 ただ「秦が周を攻めて疲弊する」という一文だけ切り抜いたらけっこう激怒させるようにも見える。そこで周最を切るほど愚かではないでしょうが、まあちょっと際どいように思えます。


 ・そして事実秦は周を攻めて滅ぼしました。
 これによって各国が震え上がったのは間違いないことだと思います。これどういう内容かと言えば、織田信長が足利義昭を追放して室町幕府が滅ぶという内容になぞらえて理解するとすんなり理解できると思うんですね。
 足利義昭

 別にものすごく強いわけではないんですが、権威はありますから各国をまとめあげて織田信長を苦しめてました。ですが、信長に捕まえられて追放されました。周というのもこういう感じだなと。強いだけなら武田信玄とか毛利とかいます。毛利元就は追放のちょっと前に死んでるようですが。

 そして話は戻りますが、この周最の進言というのはかなり正しかったようです。ただ、斉が中心となるのではなく、魏の信陵君(しんりょうくん)が中心となったところだけ違いますが、それはともかく各国は団結して秦を食い止めようとしたということです。これはかなり効果があって、秦もかなり押し戻されることになります。
 ところがそうなってみると、魏の方では魏王がこの信陵君の兄だったわけですが、この目立つ弟が気に入らなかったようです。秦はそこを衝いて策略を仕掛け、信陵君は失脚し、酒を飲んで死ぬと。そして秦が再び勢いを盛り返すという流れになります。


 ・まあ何が重要かって、周最の言葉は正しかったかもしれませんが、この秦にとっては大した意味をもたなかったと。内容の正しさだけではそこまで大きな意味を持ちません。ですが周が滅ぼされたことによって、こりゃ秦はやばいぞとなり、それが各国の団結をもたらしたということですね。その意味では、その内容の正しさというのは結果から見れば小さな波を起こすことに成功していると言えます。しかしそれですら秦の強大さを挫くほどではなかった。


 そして魏の体質とそれを利用した秦ですね。
 そもそも素晴らしい人だけの人ならたくさんいましたが、かつていた呉起(ごき)すら重用できなかったのが魏です。その魏が今信陵君が出たからと言って手放しに重用できるかといえば、もちろんできません。他の国もそうですが、素晴らしい人材が出たら活躍できないようにもっていくのが当時の常識です。秦だけがそうではなかった。その秦が秀でた人材を活用して、活用できない各国に対して仕掛けていくということ。秦の強さというのは、当の秦もそうと気付いていないようですが、たまたま人材を他国よりも十分に活用できていたということ。他国では穴でしかなかったそれが、秦では山となっていたこと。
 これこそが中華統一の原動力となっていたように思います。





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