前回は秦に呼ばれた周君がどうしても行きたくないということで、ある人が魏王に働きかけて行かなくてもいいように工作するという話でした。その続きですね。
周君は秦に行くことになった。ある人が周最(しゅうしゅ)に言った。
「秦王が孝であることを褒め、原(げん、周の邑のひとつ)をあげて太后の土地とする以上の手はありますまい。秦王・太后ともに喜ぶ(秦王にあげることで、秦王がその土地を太后にあげることが孝ということに繋がる)ことでしょう。これによって公子(である周最)は秦の歓心を得て、後援を得ることとなります。
周と秦との関係が良ければ周君は必ずや公子の功績としてくれるでしょうが、関係が悪ければ周君に勧めて秦に入らせた者は必ず罪となります」
・前回あれだけ行きたくないと駄々をこねて、あの手この手で行かなくてもいいようにしていたはずですが、結局行くことになったってことですね。でその前段階として、公子である周最(しゅうしゅ)が行くことになったようです。ついでに、「公子」というのは「公族の子弟」ということですから、まあ周君の息子のひとりくらいの意味でいいのでしょう。ただ周君の子といってもたくさんいるでしょうから、それを思えば秦に行くことになるということはかなり上の公子なのでしょう。そして手土産に周の土地を渡すのだと。
・秦に気に入られるために周の土地である原(げん)を渡すという話ですが。
注によると、これによって国交が良ければ周最の功績となりますが、国交が悪い時にはそもそもこの話を勧めた者が罪となり、どっちみち周最は害がないのだと。そうなるとこの「ある人」が罪となるということになる気がしますが、恐らくは大丈夫だと。切り抜ける自信があるのかもしれません。
なので、「これは誰それが勧めたものです」と言いさえすれば一応周最はどちらにしろ安泰である、というけっこうしたたかな面があるということのようです。そういう印象でみると話の見え方が少し違ってくるように思います。
・とはいえ、これどうなんだろうかと。
周の土地を公子が恐らくは勝手に秦に献上して歓心を得ると。周君も別に何かそれに対して言いはしないでしょうし、そもそも秦の土地に行きたくないと言っているような人ですから、行かなくて済むということであればそれで喜ぶのかもしれません。
とはいえ、自国の土地を勝手に献上して、それで罪にも問われずしかも関係がいいのだから功績にすらなる。これってさらっと書かれてますが、けっこう危うい話なんじゃないかなと。
この献策している人も別にそれが問題となって罪に問われるなどということは言ってませんから、大丈夫なんでしょうが。なんというか、周という国の危うさってのが示されている話のように思えてなりません。
周君はOKだと。ということは周の国としてもOKということですが、でも公子が次から次へとこんなことをしていたら間違いなく国は衰退するでしょう。そうせざるを得ない、というほど秦からの圧迫がきついということかもしれませんし、背に腹は代えられないということでもあるのかもしれません。
・とはいえ現代でもそういうことはありますから。
トップの者としてのベスト、組織としてのベストと、その集団の中の一プレイヤーとしてのベストは往々にして異なります。プレイヤーとしてベストを尽くすことが必ずしも全体を最高にしてくれるとは限りません。その意味では、トップにある周君が絶対に喜んでくれる、安心してくれる手を打つことは大切です。トップの者にとってこの手はどういう意味があるかどうか、そういう意識があるということがここでは重要なのかもしれません。それが仮に土地を相手国に渡してしまうというようなものだったとしても。
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