前回は楚の吾得(ごとく)将軍を誰かがはめようと周君にいう話でした。
楚が二周(東周と西周)の間を通って、韓・魏に臨まん(挑まん)として周に頼んだ。周はこれを(周もついでに侵すのではないかと)憂いに思った。蘇秦は周君に言った。
「道を掃除し広げていく、これを黄河まで広げていけば、韓と魏としてはこれを嫌うことでしょう。斉と秦とは楚が周の国宝である九鼎(きゅうてい)を奪うつもりではないかと恐れることでしょうし、そうなれば必ずや韓と魏を助けて楚を攻めることとなりましょう。楚はこうなると領地以北については為す術もなくなり、二周の間を通ることなどとてもできなくなるでしょう。
もしもこうならずに、四国が共に楚を嫌うことなく自由に行動できるとなれば、周君は与えたくないと思っても、楚は必ずや九鼎を取りにやってくることでしょう」
・つまり、周としても楚の韓・魏を討伐したいという気持ちを汲み取って、わざわざ韓・魏への直通ルートを整備し拡張してやれば、韓と魏とはイヤでも反応せざるを得なくなると。つまり断るとか拒絶するとかすれば楚からの反感を買いかねないわけですが、わかりました、むしろ手伝いましょうと素直に言って道の拡張・掃除事業を率先してやることで、かえってそれを止めると。これはすごい技だと思います。こういう技をいろいろ見ていきたいと思ってますので、今回はそれ以上は特に見るつもりはありません。
まあそれは別にして、いろいろ疑問点も増えてきたので今回はついでにいろいろと調べてみます。
①西周≒洛陽あたりという認識だが、「周を通って韓・魏を攻めたい」っていうのは楚の位置関係からしてなんかおかしくないか? ということ
当時の大体の地図。
これをみると楚からすれば、韓→洛陽→魏という感じなので周を通って韓・魏を攻撃するというのは考えにくいし、そもそも上下から挟撃されるような話になってしまう。となると、これがそもそも言いたいことというのは「韓・魏はどうでもよくて、周に兵士を入れてそのまま占領したいんだけど」という脅迫だと取れるのではないかということで。というかそう取るのが妥当な気がする。
と、ここまで考えると思い出すのは三十六計の「仮道伐虢(かどうばっかく)ですね。
仮道伐虢
「道を仮りて(かりて)虢を伐つ(かくをうつ)」ということですが、「仮りて」は「借りて」でいいと思います。ちょっと通してくれよと言って許可貰って中に入った隙にそのまま制圧してしまうということですね。これはけっこう話に広がりがあって、いろいろなところに通じている話なのでちょっと引用して詳しく見ていきたいと思います。
「虞(ぐ)と虢(かく)という小国は、晋に隣接していた。晋の献公はこの二国を攻め滅ぼしたいと思ったが、一国なら容易でも二国に連携されると攻めるのは難しい。そこで虞の君主である虞公へ、晋の国宝の名馬と宝玉を送り「虢を攻めるために、晋軍が虞を通過することを許可して貰いたい。虞には一切手を出さない」と求めた。虞の宮之奇は百里奚と共に、唇歯輔車(唇破れて歯寒し)のことわざを引いて、「虢は虞の支えであり、虢が滅べば虞もやがて攻められる」と諌言したが、宝に目がくらんだ虞公には無駄であった。果たして晋により虢が滅ぼされて数年後(あるいは虢と霍を滅ぼしたその帰路)に、晋は虞を攻め滅した。そして晋の献公は「宝玉はそのまま、馬は大きくなって戻ってきた」と喜んだ(『春秋左氏伝』僖公五年)」
で、この晋の献公という人は重耳(ちょうじ)の父親にあたりますね。
ですから、今回の楚の対応というのはそのまま「仮道伐虢」を表しているとみていいでしょう。道を通してくれやというよりは、滅ぼすぞという脅迫ですし、これを断っても受け入れても地獄という無理難題ですね。
②三国志のゲームとかしていると「玉璽(ぎょくじ)」が最高のアイテムなのに、この周の九鼎(きゅうてい)っていうのは何物なのか
玉璽
皇帝の用いるハンコですね。
袁術なんかはこれを手に入れたってことは天がオレに皇帝になれって言ってるのだ! と思い込んで皇帝になってしまいます。「仲(ちゅう)」という国を建てましたが。
九鼎
なるほど。
本当はこれが王権の象徴だったと。
なんですけど、最終的にこれを奪って帰ろうとした秦が沈めてしまったのでなくなったということのようですね。で、その時から九鼎の代わりに玉璽が登場することになったと。九鼎は大きすぎるし重すぎたし都合が悪かったということもあったのでしょう。玉璽ならコンパクトだし持って逃げられるし、それこそもって井戸に飛び込むようなことができるわけですけど、九鼎ではとてもできそうにありません。
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