題名の番号ですがいつも2-10にしようか2-10にしようかとか考えてまして、ボチボチ変えようかなと思ってましたが急に変えるのも変だしということでこのままいこうと思います(笑)優柔不断の極みですが、これ100とかになると2-100とかになってなんとなくかっこ悪いんですよね。どうでもいい完全な余談です。
ということで前回は李兌(りたい)という男が西周から頼まれて秦をなんとかして攻めないようにもってってくれよと言われる話でした。
犀武(さいぶ)の率いる軍は伊闕の戦い(いけつのたたかい)で敗れた。
周君は魏に行って救援を求めた。魏王は上黨(上党、じょうとう。黨は党の旧字体)が秦に侵攻されており事態が急ということでこれを断った。周君はこれで帰ろうとし、魏の首都である梁(りょう)の鳥獣が飼われている園地を見て、これを楽しんだ。周の臣である綦母恢(きぼくかい)は周君に言った。
「魏の邑(ゆう、村のこと)である溫(おん、温の旧字体)の園地はこれに勝るとも劣らぬものであり、また周に近いものであります。この臣はわが君のためにこれを魏より貰い受けて差し上げましょう」
そして魏王の元に戻った。
王は言った。
「周君はこの私を恨んでいるだろうか」
これに答えて、
「周君がこの状況で王を恨まなかったら他に誰を恨むでしょうか。
この臣は王のために憂いとすることがあります。周君は天下の宗(そう、大本、中心のこと)として重きをなしておられますが、魏王のために国の兵を挙げて秦を防いでおられますが、王の方では周のために兵を出してはおられません。この臣は周が国ごと秦に味方しようとするように思います。そうなれば、秦では国境外の兵を用意して、これが周の軍勢と協力して共に南陽を攻めるようなことになれば、上黨は陥落することになりましょう」
魏王は言った。
「では、どうすればよいのだ」
綦母恢は答えた。
「周君は小利を好みません。三万の兵を援助し、さらには溫の邑を与えれば周君は百官に顔が立つこととなり、さらには溫の園地を個人的な楽しみとすれば必ずや秦には合わせることがないでしょう。
この臣はこのように聞いております。溫の園地の利益は一年に80金だと。周君がこれを得れば、王に上納するお金は120金にもなりましょう。これによって上黨は憂いがなくなり、さらには40金が増えることになります」
これを聞いた魏王は孟卯(もうぼう)をやって溫の邑を周君に渡し、また守兵をやって西周を助けることを承諾したのである。
・読んでいて一番奇妙に感じられるのは、土地貰ってきますよという綦母恢(きぼくかい)の一言がいかにも怪しいんですが、さらには兵士を援助してくれる約束まで取り付けてくるということですね。綦母恢という男はそこまで魏の内情というより魏王の心情を掴んでいるんだなと。魏王としても、権威主義といいますか、周君の顔色を窺って気にしているというのが。そこに付け込んでうまくいくというわけですが、ただ単に土地をよこせというだけでなく、周をしっかり兵士も出して援助せんかいと強気な姿勢で外交をしていくのが素晴らしいですね。
大体交渉事っていうのは、土地が欲しいなとか少しだけ手を伸ばすような話が多いですが、土地もよこせ兵士も出せというようなこの強気な姿勢と魏王の引け腰があいまってこのような結果となっている。これは大いに見習いたいところです。まあ魏からすれば大いに迷惑でしょうが(笑)
・本筋は以上って感じですが、この園地というのは要するに今でいうところの動物園みたいなものなんでしょうね。で周君というのは伊闕の戦い(いけつのたたかい)で魏・韓の連合軍とまったく無縁ではないでしょうし、恐らくは関係しているはずです。そして敗戦を迎えており、君主自ら外交に行って断られ、その帰り道でその園地によって楽しむ、と。このくだりだけで十分この周君は暗愚なんじゃないかという雰囲気が感じ取れるように思います。普通、敗戦で滅ぼされるかも、斬首されるかも、いや自国の国民の行く末はなどと考えそうなものですが、それが動物園行って楽しんでいるっていうのはかなり中国史の中でも変わった人なんじゃないかと思います。なんというかこの書き方だけでも周君かなりヤバイなってのが伝わってくる気がします。ユニークというか、ボンボンというか、あんまりその先を考えて憂えてないというか、ちょっと一風変わっています。これを踏まえて考えるに、周の威光ってのは別に周君のためというよりは、恐らく周という国とその歴史への威光であって、それを利用して例えば綦母恢とか、以前出て来た韓慶(かんけい)などが活躍しているように思われます。別に忠誠心がないわけではなく、その対象は周君であるというよりかは周という国に対してあるのであり、周のために働こうと。そういえば三国時代にもやたら漢王朝のためにという人がいましたからね。劉備や孫権の配下はともかく、曹操の配下とかでも荀彧(じゅんいく)などはあくまで漢王朝のために働くような人でした。そういう感じで考えたらいいのかなと。
・まあともかく、交渉事は手の届く範囲で手堅くいこうとか考えるなと。
がっつりもらえそうならがっつり強気に行けってのが大切ですね。
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